機器を作るために色々な部品を米国からの仕様書を翻訳して日本の部品メーカーに作ってもらうということをしました。その時のエピソードです。

その一)
基板を作らせるというので2社に試作をさせました。出来上がったものを見ると大して差はありませんでしたが、丁寧さという意味で1社は少し劣りました。しかしながら、落選しそうな会社は何とか受注したというので工場見学をしてほしいとの申し出がありました。壜の底のような眼鏡をかけた係長以下何人かで見学をしたのですが、見学後にむりやり豪華なうなぎやに連れて行かれてました。しかしながら、この会社は評価が悪いので落選させようかと考えていたので、豪華な料理を食べていても美味しくはありませんでした。後日落選の通知をすると電話で長々とその理由を尋ねられたのでした。
もう1社は受注したというので直ぐにでも製作に取り掛かりたいので、大量の図面を持って帰るというのでした。その日は雨が降っていた夜でした。そういうのも気にしないで雨に濡れながら帰っていったのですが、こちらは嬉しさでそういうのも気にならなかったかもしれません。

その二)
当時は日本のほうが部品材料も米国よりも劣る特性のものしかできませんでした。小さなコイルなどは磁性体の特性が悪いので、同じ仕様のものを作ると大きくなってしまいました。私は寸法上で干渉のしないので製作させたのですが、役所の検査官が少し大きいのに気づいて問題を指摘されました。しかしながら、日本じゃそんなものしか出来ないというので許してもらいました。

その三)
40年も前に米国の製品にはフレキシブル基板というのがありました。今ではカメラなんかに薄いシート状のものが一般的です。当時日本では誰も見たことが無いというので、化学メーカーの研究所に試作できないかと打診したことがあります。しかしながら製品を分析してもらった結果、当時の日本ではそういう柔らかい素材は作れないというので、米国から高値で輸入しました。