その一)
独身寮と工場とは2キロメートルくらい離れていました。通勤は作業着と作業靴姿でぞろぞろと連れ立って工場へ行きました。その道は途中で土地が造成されていない丘を越えていくので泥が靴につきました。靴は最初は工場研修の時に購入した鉄板入り作業靴でしたので、汚れは気になりませんでした。
この丘には親会社の独身寮があって、そこの管理人らしい中年の男が夕方に建物の屋根に上がって三味線を弾いていたのを思い出します。民家も無く大きい音で弾いても誰も文句を言う人はいないのですが、聞き手は帰り道を歩く若い男ばかりでした。
その二)
独身寮から出ると直ぐに田圃があり稲作をしていました。結構大きな土地でしたので、6月には煩いほど蛙が鳴いていました。9月には稲刈りもあり、鎌倉でこういう風景が残っていた最後の時期だったろうと思います。
田圃の先には大仏に抜ける道がある山が見えて、季節ごとに色が変わりました。
毎日季節を感じながら工場へと通ったので、都会のサラリーマンとは相当に違う通勤を5年もしたことになったのでした。
その三)
独身寮の北に製薬工場ができて毎日その工場へ通う若い女性が工場に向う男達とすれ違うのですが、その中で一人だけ美人がいて何時も気になっていたのを思い出します。
独身寮と工場とは2キロメートルくらい離れていました。通勤は作業着と作業靴姿でぞろぞろと連れ立って工場へ行きました。その道は途中で土地が造成されていない丘を越えていくので泥が靴につきました。靴は最初は工場研修の時に購入した鉄板入り作業靴でしたので、汚れは気になりませんでした。
この丘には親会社の独身寮があって、そこの管理人らしい中年の男が夕方に建物の屋根に上がって三味線を弾いていたのを思い出します。民家も無く大きい音で弾いても誰も文句を言う人はいないのですが、聞き手は帰り道を歩く若い男ばかりでした。
その二)
独身寮から出ると直ぐに田圃があり稲作をしていました。結構大きな土地でしたので、6月には煩いほど蛙が鳴いていました。9月には稲刈りもあり、鎌倉でこういう風景が残っていた最後の時期だったろうと思います。
田圃の先には大仏に抜ける道がある山が見えて、季節ごとに色が変わりました。
毎日季節を感じながら工場へと通ったので、都会のサラリーマンとは相当に違う通勤を5年もしたことになったのでした。
その三)
独身寮の北に製薬工場ができて毎日その工場へ通う若い女性が工場に向う男達とすれ違うのですが、その中で一人だけ美人がいて何時も気になっていたのを思い出します。