その一)
新しい飛行機用登載機器が出来上がると、試験飛行をしている各務原の飛行場に出張で機器の取り付け確認と試験で出張しました。飛行機のコックピットに入って自分の作った機器が取り付けられているのを見ると達成感が湧いて来て、仕事の苦労も一時は拭き飛ぶ気持ちでした。
飛行機も国産初のジェット飛行機というもので、その胴体を各務原の会社で作っていました。その時の見聞記です。

その二)
新しい飛行機の横で古びた小さな飛行機の整備をしていました。聞くと米軍のお下がりの哨戒機で第二次大戦で使用していたものだと聞いてびっくりしました。丁寧に補修しながら現役で使用されているのでした。戦争が終わって二十年以上もするのに、当時そういう機体が使われていたのは日本の経済力が無かったからかもしれません。

その三)
新開発のジェット機といってもエンジンは英国からの輸入品で、最新の搭載機器は全て米国からのライセンス品なので実質国産というのは胴体だけでした。
その飛行機の飛行テストをしていたのですが、私が飛行場に行った時は飛行機からボルトが外れたというので、ボルト探しを飛行場でやっていました。広い飛行場なので人が滑走路に一列に並んで端から端まで歩いて探すというものでした、驚きというか漫画のように思えました。

その検
出張に際に宿泊したのは地方の旅館でした。多分この飛行場に仕事で来る人しか宿泊しないような旅館だっと思いますが、冬には布団の中に湯たんぽが入っていたのが忘れられません。
飛行場の現場に胴体を作っている会社で働いている同じ年の男がいて、趣味が音楽というので話が合い、是非自宅に泊まってくれというので、仕事が終わってから突然ながらその男の家に行きました。
急な来客に母親は驚いたようですが、簡単ながらすき焼きを作ってくれました。それからその男の部屋を案内されたのですが、自分ではチェロを弾くというので部屋の端に立てかけてあり、部屋も音響を考えて細工をしていました。オーディオも凝った装置を自慢していましたが、その時解説されたLPレコード用のカートリッジを私が入手したのは二十年も後のことでした。