三河武士は何処へ ー『次世代』の大敗に寄せて | 広島から 中国総領事館 誘致に待ったをかける

広島から 中国総領事館 誘致に待ったをかける

広島に県、市、県議会、市議会、経済団体を挙げ、中国総領事館を誘致する計画があります。
経済にばかり走り、国家安全保障を考えない誘致計画に警鐘を鳴らします。

特攻隊の寄せ書きに「三河武士」の文字。日本兵の武士道と国を護る覚悟を見る。

チャンネル桜の水島が、松平元康(徳川家康)が三河から出、今川の人質になり、織田の言いなりになり、秀吉に臣従し、やっと天下を取ったことを例に引き、現在の日本の属国状態を説明している。

引き合いに出されたのが「家康」であったのは、水島が掛川から出て、静岡(駿府)の高校に通い、東京(江戸)の大学へ行き、そこで成功し財を成していった自らの経験と重なるものがあるからかもしれない。家康が幼少期を人質として過ごした臨済寺、領主として戻り築いた駿府城や浅間神社は、彼が過ごした高校から徒歩の距離だ。「家康」は身近で親しみもあったろう。

しかし、例えでは語られていないことがある。

静岡の「家康」はまるで、たった一人で天下を取ったかのようだ。不思議なほど彼を支えた家臣について語られることがない。「楽々と餅を食った」後の「家康」しか見ていないからだろうか。

これが松平発祥の岡崎になると、家康の描かれ方がかなり違う。

家康が天下を取ることができたのは、忠誠心が強く、屈強で、固い結束力で知られた三河衆と呼ばれる譜代の家臣団の力があったからである。岡崎では、今も、酒井、石川、大久保、本多、水野、鳥居、井伊、榊原など、三河衆を構成した家臣たちを語り継いでいる。

NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』は、三河衆を次のように描いている。
第32回 19分55秒から
官兵衛「勝てませね」
秀吉 「なんじゃと」
官兵衛「徳川は強うござります。それは御自ら戦われた上さまが一番おわかりのはず」
秀吉 「確かに徳川は強い。じゃが、同じ相手に二度負けするわしで・・・」
官兵衛「兵を無駄に死なせるおつもりか。先の戦(註:小牧長久手の戦い)、上様の兵力は敵の倍以上ありました。にもかかわらず、何故に敗れたのかおわかりでございますか」
秀吉 「おぬしがおらんかったからじゃ、そう言いたいのであろう」
官兵衛「左様ではございませぬ。三河衆の結束の強さに敗けたのでございます。徳川家は譜代の家臣も多く、固い絆で結ばれております。・・・これではいくら数で勝ろうと、どのような策を立てようと勝ち目はございませぬ。」

特攻隊員の中には、本当に三河武士の血を受け継いでいた人もいたかもしれない。が、おそらくそういう意味ではない、と思われてならない。

彼らは自分たちを、家康を天下人に押し上げた三河衆に重ねていたに違いない。アメリカがいくら数で勝ろうと、どのような策を立てようと、我々が三河武士のごとく、結束して『義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運を扶翼すべ』く戦えば、皇国を外国の支配に渡すようなことはない、と。

確かに日本は今、人質に取られた竹千代のようだ。であれば、彼が勝ち続けやがて幕府を開くためには多くの三河武士がいなくてはならない。

三河武士は何処に。

現代の三河武士は男だけではない。

いつから女性は弱者になったのか。・・・本来日本は男女が役割分担をした上で、女性を大切にしてきた国です。父に勧められて『武士の娘』という本を読みました。ヒロインは・・・日本女性がいかに地域社会や家庭内で力を持ち、男性と役割分担をしているのか、一生懸命説明します・・・

でも戦後の日本はどうでしょう。『日本は男尊女卑の国だ。だから女性の社会進出が進まない。』という諸外国の決めつけに抵抗することなく従い、まだだまだだと言われて、どんどん迷走する。

1980年代に締結した女子差別撤廃条約は、その国の伝統と文化を壊してでも、男女平等にしましょう、といった内容です。それを受けて作られた男女共同参画基本法の元、男の子らしさ、女の子らしさを否定する教育を行い、ナンセンスな男女平等を目指してきました。・・・

本来日本女性は芯が強いのです。私は、未だ日本を敵国条項の対象とし、白人至上主義を押し付けてくる国連にはっきりとノーを言い、日本人が日本人らしく、男女がお互いに尊重し合える社会を取り戻します。それが次世代のなでしこ、杉田水脈の使命です。
」(次世代の党 結党大会で)

こういう人たちを戦場から引き揚げて、有権者たちは、日本をどうしようというのだろうか。二度目の敗戦は、最初のそれより、ずっと重く苦いものになるかもしれない。