一昨日ブログの続きで、8月15日は奄美市内で講演し、1泊。翌16日は、城村典文奄美ブロック護憲平和フォーラム事務局長に1日奄美の戦跡を案内していただきました。これは、昨年12月に奄美で講演をしましたが、鹿児島県護憲平和フォーラムから、今度は奄美に2泊し、島内色々とぜひ回ってとのご厚意で。城村さんが車を出し、細かい計画まで作られ(掲載画像1枚目)、これに従って回ることになりました。

 

まず名瀬から古仁屋港に行き、ここからフェリーで加計呂麻島(瀬相港)に行きます。そして、主に以下のような場所を回っていきました。三浦の海軍艦船用給水ダム(2枚目)、三浦の第17震洋隊格納壕、瀬相の大島防備隊本部跡(3枚目は戦闘指揮壕)、呑之浦の第18震洋隊格納壕(4枚目。中に入っているのは、海上特攻兵器「震洋」のレプリカ。木製ボートで、作戦時不発の場合は自爆することになっていたとは)、安脚場砲台跡(5枚目が砲側庫、6枚目がカネンテ衛所、7枚目が弾廠)。この後は少し観光地を回り、今度は生間港からフェリーで古仁屋港に戻り、奄美大島内の戦跡として、古仁屋の奄美大島要塞司令部跡、手安弾薬本庫跡(8枚目が第2弾薬庫と第3弾薬庫)、西古見砲台跡(9・10枚目が第2観測所、11枚目が内部に残る絵図)、西古見の弾薬庫跡(12枚目。この樹木がすごいですね)を回りました(他に、少し観光地も)。

これだけの戦跡が残っているのは、米軍との上陸戦が行われず、集落から離れた不便な場所にあったことなどから破壊されなかったようで、貴重ですね。しかも、まだ中に入ることのできる施設がいくつもありました。瀬戸内町の教育委員会が戦跡のパンフレットと6箇所の個別のマップも作っており、これも貴重。そして何より、1人で1日でこれだけ回るのは無理で、城村さんには大変お世話になりました。