久しぶりのレゴ
今日DQNな友人Sが
「小学生レベルじゃん」と
レゴを小ばかにしたので作ってみることにした。
勿論自分への挑戦の意味も込めて。(こういうの作るのは初めてです)
お題は「稼働率の高い人型ロボット」です。
製作時間は2時間程度です。
携帯で撮影したので画質は悪いです。
※画像をクリックすると大きな画像が表示されます。
地球に(略 騎士みたいな・・・
どうでしょうか?
自分的には良く出来ているほうだと思うんですけどね。
末(略!
これでもレゴを小学生のおもちゃだと言うか?
http://kids.yahoo.co.jp/docs/event/pieceofpeace/lego/index.html
↑すんげー!必見です!
錯角の証明
今日から新たに「証明」というテーマを追加してみた。
錯覚ってありますよね。
あれって証明できますか?
今日学校で友人と小一時間悩んだんですが証明できませんでした。
lとmが平行な直線でnが直線のとき
α=βを証明せよ。
図形としてではなく、関数としてなら証明できるんだけどなぁ・・・。
誰かヘルプミー
ちなみに対頂角は簡単に証明できます。
左のαに注目します。
赤い線に注目したとき上の角度は180-αです。(直線の角度は180度という定義より)
黒い線に注目したとき下の角度は180-αです。(直線の角度は180度という定義より)
これで対頂角が証明されました。(180から180-αを引けばαが出ます)
錯角や同位角も定理を用いずに証明出来るはずなんですが・・・。
もし出来なかったら一大事ですね・・・。
マヂで誰かヘルプミー(その2)
定義と定理の違いについて
今日学校で 友人に聞かれたので書いてみる。
基本的に数学においての話です。
定義と定理の違いは何でしょうか?
実はそんなに難しい話ではありません。
身近な例で言うと
三角形という定義があります。
三角形は3つの直線で囲まれた平面図形のことです。
(直線や平面図形も定義されたものです)
また、角度という定義があります。
これは「直線の角度は180度」と定義したものです。
一周は2倍の360度になりますね。
その結果ある法則が成り立ちます。
三角形の3つの角度の和は180度に等しい。
この法則や性質を定理と呼ぶのです。
この定理はどんな三角形でも成り立ちます。
証明してみます。
ここに三角形ABCがあります。
●▲■○△はそれぞれ角度を表しています。
今、点Cを通り、線分ABに平行な直線ECを引きます。
さらにBCを延長します。
この時●と○は等しいですね。(錯角より)
また▲と△も等しいですね。(同位角より)
そして■+○+△=180ですね。(BDが直線なので)
∴■+●+▲=180
これで「三角形の内角の和は180度に等しい」ことが証明されました。
では、上記の三角形ABCが三角形であることを証明できるでしょうか?
いくらそれぞれの線が限りなく直線に近いとしても三角形であることを証明したことにはなりません。
不可能なはずです。そうでないと困ります。(これが「定義は証明できない」という定義だからです)
しかし、「三角形の内角の和は180度に等しい」はそれを前提に話を進めた結果証明することが出来ました。
それが三角形なのかどうかを考慮していたら話は進みません。
定義はけして問われないものなのです。
けして根拠を持たないものです。
例えば数があります。
1+1が何故2になるのかわかりますか?
1+1が2になることに理由なんてありませんね。
これは前提であり、定義だからです。
逆に定理は根拠を問われます。
むしろ根拠のない定理はないといえます。
そしてその根拠は定義を利用して表現されるのです。
定義がなければ何も始まりません。
言葉だって文字だって定義です。
定義とは共通の概念を共有するための取り決めなのです。
定理とは定義された上で成り立つ性質のことです。
僕個人としては、人は定義無しでは何もすることが出来ない、と思っています。(哲学的に)
光と影の関係
有と無について考える上で光と影がヒントになりそうなので考えてみます。
光は光があることを意味しています。
光は光のある空間です。
影は光が無いことを意味しています。
影は光のない空間です。
このとき、影は存在するのか?
暗くすることは出来ます。
しかし、本当に光がないのでしょうか?
本当に明るさはゼロでしょうか?
光は光子で出来ています。
入り込めない隙間はないと思うわけです。
もし光が完全になくなってしまったらどうでしょうか?
わかりやすくいうのなら「失明」ということになります。
光という概念を完全に失った状態をいいます。
そこに影は存在するでしょうか?
しませんね。
もはや光も影も何のことなのかわからないので認識のしようがないのです。
何を言いたいのかというと
完全な影は存在しないということです。
限りなく影に近い光は出来ても、完全な影は出来ないわけです。
これは有と無についても同じだといえるのではないでしょうか?
完全な無はなく、限りなく無に近い有しか存在しないのではないでしょうか?
有は光子よりもはるかに小さいです。
場合によっては大きさを持ちません。
っていうか、「存在する」ものは「有」であるに決まっています。
結局こんな簡単な結論に至るとは・・・・・・。
やはり完全な無は存在しないのです。
無が存在しないものだとするのなら、それを変換することなど不可能なはずです。
もし変換することが出来てしまっても、その無は無ではなく有です。
結局無には2種類あるということがわかりました。
存在しない無=本質的な無で存在しない※表現してしまった時点でその本質性は失われていますが・・・。
存在する無=限りなく本質的な無に近い有
また、存在する有は有です。
存在しない有は存在する無です。
何故存在しない有が存在する無なのかを説明します。
仮に有を無に変換できたとします。
この無は存在するでしょうか?
存在します。
何故ならその無は「有でない無」という存在であるからです。
もしあなたの目の前にあったコップが完全になくなってしまったらどうでしょうか?
そこには「コップがない」という有が存在しているのです。
存在してしまった時点で無は完全な無ではないのです。
有を「完全な無」に変換することは不可能なようですね。









