無から有は生まれるか?
世の中では無から有を生み出すことは不可能だとされています。
永久機関を作ることは不可能だといわれています。
何故でしょうか?
質量保存の法則や力学的エネルギー保存の法則があります。
質量やエネルギーの総和が一定であることを表しています。
つまり物質やエネルギーを変化させたとき、軽くなったりエネルギーが増減したりしないということです。
ボールを真上に投げ上げたとします。
自分のところに戻ってきたとき、投げ上げた速度と同じ速度で落ちてきますね。
速くなってたり遅くなってたりしません。
また、重くなってたり軽くなったりもしません。
勿論微妙に変化していると思います。
しかし、それは空気抵抗だったりするわけです。
無くなったわけではなく、別の形で利用されているわけです。
そこであえて思うわけです。
有から無は作れるのか?
ここに存在するものをなくしてしまうことは出来るのか?
燃やしても潰しても消えることはないとされています。
う~ん、どう考えても出来そうにありません。
ここでこう考えます。
有と無はまったく別のものなのでは?
有と無に関連性はないのでは?
勿論別のものであることは確かです。
有は存在し、無は存在しない。
しかし、あえてまったくとつけたのには理由があります。
例えば「大きい」について考えます。
大きいの反対は小さいです。
しかしここでは「大きくない」とします。
ここで考えてみてください。
「大きくない」と「小さい」は同じでしょうか?
また、「小さくない」は「大きい」と同じでしょうか?
違いますね。
大きくないからといって小さいとは限りません。
小さくないからといって大きいとは限りません。※大小が一定でないのでこうなるのでしょうか?
「大きい」と「大きくない」は対称関係ではないのです。
同じように「小さい」と「小さくない」は対称関係ではありません。
つまり、「○○」と「○○でない」は対称関係ではないのです。
ここで有と無について考えます。
無は有でないことです。
「有」と「有でない」
対称関係ではないですね。
対称関係でないということは同じ土俵にいないということです。
ここにある酸素と地球の裏にある水素を反応させることが出来ますか?
無理ですね。
どうしても両方が触れ合える範囲にある必要があります。
しかし、仮に無を存在だとしたらどうでしょうか?
有と有
対称ではなく同一ですね。
なので変換できますね。
しかし、実際は出来ない。
やっぱり無は存在しないのです。
本当の無であるためには認知されていない必要があります。
では、その無は一体どれくらいあるでしょうか?
僕は無限にあると思います。
逆に有はどれくらいあるでしょうか?
たぶん一定です。
ここであることに気づきました。
仮に無が有の反対であるとすると
有は「無でない」ことになります。
無は「有でない」ことになります。
ここですごいことが起きます。
何も存在しないとき無です。
無が存在しないときは?
有になりませんか?
無が存在しない
=そこは無でない
=有でないわけではない
=有でないでない
=有
「無が存在しない」ためには有の反対が無でなければならないのです。
う~ん、長くなったし結局良くわからないので明日に続けます。
無という存在
無は何を意味するのか?
僕が昔から思っている疑問です。
まず、無とは何なのか考えます。
物が存在しない状態です。
そこに何もない状態のことです。
数学では0のことです。
ここに無があるとします。
つまり、ここに無が存在するとします。
そこには何もない状態が存在しています。
???
無のはずなのに存在している。
対象が無であるためには、何かが存在してはいけません。
概念の「0」は0の存在を意味しています。
これでは完全な無とはいえません。
そこで、無が存在しないとします。
無が存在しないのでそれを認知することは出来ません。
無自体が存在しないのでそこには何も存在しません。
この場合完全な無であるといえます。
しかし、問題があります。
無が存在しないとすると、概念の「無」は意味を持ちません。
何故なら「無」に相当する対象が存在しないからです。
もし犬が存在しなければ、概念の「犬」は意味を持ちませんね。
対象が必ず概念には必要なのです。
じゃあ無って何なんだ?
無を見出したときそれはすでに無ではない。
僕はそう考えます。
「無」に意味を持たせるには対象となる無が必要です。
しかし、その無は無という存在であり完全な無ではありません。
やはり完全な無は存在しないのではないでしょうか?
この世界はいろいろな変換によって構成されています。
エネルギーだったり質量だったりします。
また、その総和は常に等しいとされています。
そう考えると、何もない状態は存在しないのではないでしょうか?
さぼりではありませんよ・・・・
今日はこのブログの方針についてまとめました。
インデックスも作りました。
疲れました
今日朝8:00に起きました。
次に気づいたときには
14:00でした( Д|||)
一瞬目を疑いましたとも。
しかもレポートやってないo(*^▽^*)o ゲラゲラゲラ
と、いうわけですので
休ませて下さいm(。_。)m
(たまには日記もいいかな・・・・?)
自分について
※僕の自己紹介ではありません
自分と他人とを分けているものは何でしょうか?
まず、肉体が違います。
また、それはDNAの違いです。
しかし、これには問題があります。
仮に同じDNAを持っていたとしても全く同じではないからです。
双子は良く似ていますが必ず違いがあります。
この違いは経験によってもたらされています。
今までの経験によって今後の行動は大きく左右されます。
また、する経験によっては過去の自分とでさえ大きく異なってしまうのです。
経験を実際に使う対象があります。
状況です。
何らかの状況に立たされたとき初めて経験が生かされます。
そして、その結果がまた経験として蓄積されるのです。
この3つの要素によって僕達は構成されているのではないでしょうか?
文化について
前回の進化について
を読んでおくことを推奨します。
何故人類は文化を持っているのでしょうか?
文明とは
・文字
・言葉
・概念
・宗教
・技術
などの習得・伝達・共有される行動様式のことです。
特に技術面では、人類は他の生物より圧倒的に優れているといえます
また、人類以外に文字や宗教を有している生物など聞いたことがありません。
では、何故人類だけ文化を持つようになったのでしょうか?
そこには理性の発達が関与していると思われます。
人は木から地上に降りました。
2足歩行をすることが出来るようになりました。
そして、前足を自由に使えるようになったのです。
これは、脳に大きな変化をもたらしました。
手を動かすことにより脳に刺激が送られ、脳が活性化しました。
また垂直に立つことにより、頭の重さが首の負担になることもなくなりました。
その結果脳が大きく成長したのです。
脳が大きくなることで、今までより複雑な行動をすることが出来るようになりました。
脳の処理能力に余裕が出来たからです。
これによってさまざまな変化がもたらされました。
まず、学習能力を身につけました。
学習することにより、事象に対する対応が向上するようになりました。
また、より良い技術が求められるようになりました。
次に、表現能力が発達しました。
表現能力の発達により、他の個体と情報交換するようになりました。
技術力がさらに向上します。
ここまで来たら十分です。
計画的に狩をすることも、火を扱うことも、家を作ることも、もぅ自由自在です。
ついに人は理性を手に入れたのです。
前回進化について でこういいました。(下のほうにありますが、ちゃんと読んだ方が無難です)
「変化こそが進化である」
この場合の変化はDNAの変化を表しています。
つまり、突然変異したDNAのうち、より生存率の高いものになった変化のことです。
しかし、DNAによる進化は非常に効率が悪いです。
まず、その突然変異が都合よいものでなければいけません。
この確率は非常に低いです。
仮に1つの個体が優れた変化をしたとします。
しかし、必ずしもその優れた部分が子孫に受け継がれるとは限りません。
最低でもこの2つの課題をクリアしなければいけないのです。
このためには膨大な時間が必要でしょう。
しかし、理性による進化の場合はどうでしょうか?
一度理性を手に入れてしまえば、あとはトントン拍子に進むはずです。
火の使いかたを見つけた個体がいたとします。
この個体は他の個体に方法を伝えます。
他の個体は正確にまね出来ないかもしれません。
しかし、彼らには学習能力があります。
些細な失敗などこれで解決できるわけです。
こうして、人は火を使うことが出来るようになりました。
これらの行動は理性がなければ出来ないでしょう。
また、理性による進化にはもう1つ利点があります。
子孫以外でも伝えることが出来る
これは非常に大切なポイントです。
DNAによる進化では直属の子孫にしか伝えることは出来ませんでした。
勿論、偶然同じDNAに変異する可能性は0ではありません。
しかし、限りなく0であることは言うまでもないでしょう。
DNAによる進化では、そのDNAを持つものが滅んでしまった場合
その優れた能力は受け継がれることがなくなってしまうのです。
文化が非常に優れた進化システムだということに気づきます。
だったらそのシステムは受け継がれて当然なのではないでしょうか?
永い地球の歴史の中で、
DNAは出来る限り無駄なものを除去され、優れたものを限界まで取り入れられました。
これは文化も同じなのではないでしょうか?
例えば九九があります。
九九を覚えるとき「いんいちがいち、いんにがに・・・」と覚えたと思います。
これをばらばらに覚えようとしたらどうですか?
ろくさんじゅうはち、しごにじゅう、にしちじゅうし・・・
覚えにくい、というか無理ですよね?
こんな効率の悪いことをするはずがないのです。
順番に覚えるほうは優れています。
ばらばらに覚えるほうは劣っています。
実際にはどっちが多く使われていますか?
文化においても、優れたものは残り、劣ったものは消えていくのです。