Gentleness -78ページ目
男は一回ホメると、いつまでも
そのことを忘れないという傾向を持っている。
だから、本人のプライドを
くすぐるようなホメ言葉を一回いっておけば
5回や10回キツイことをいっても大丈夫である。
ところが、女は違う。
女は毎日でも男にホメてもらいたいと思っている。
「君って、ステキだね」とホメれば
きっと相手の女性は喜んでくれる。
気分も良いに違いない。
でも、そのホメ言葉が有効なのは
あくまでも今日だけなのである。
明日になればスッカラカンと
前日のことは忘れてしまう。
だから、今日は今日で
ホメなければいけないのである。
アメリカ人夫婦の場合
夫は仕事に出かける前に
「愛してるよ」といった言葉を
妻にかけキスをする。
そういったことを日常的にしていないと
アメリカ人の妻は
自分は愛されていないと感じてしまい
離婚騒ぎになるそうだ。
だから
国際結婚をするならば充分な心構えが必要。
女性のホメ方というのは
「君の髪は誰よりもキレイだけど、
性格が少し変わってるね」
というのと
「君は少し性格が変わっているけど、
誰よりもキレイな髪をしている」
とホメるのでは
同じことをいってるのに
まったく正反対の印象となってしまう。
明かに後者のほうが好印象となる。
つまり、短所を先に述べ
長所を後から口にしたほうが効果的。
前者のような言い方をしてしまうと
相手の女性は間違いなく怒ってしまう。
女性はホメ言葉を欲しがっている。
女心を掴むためには何度も
女性が喜びそうな言葉を繰り返す必要がある。
だから面倒である。
しかし、ホメ言葉を連射して
ホメ倒せば勝機が見えてくる(笑)
女性をホメるのは大変である。
だが、しつこくやるしかない。
気後れしたり、面倒くさがったりしていたら
女心は掴めないかもしれない。
こういうことを
いとも簡単にやってしまうのが外国の男。
「男にそんなことできるか!」
なんてことを言ってると
知らない場所で女たちが
「なによ、ダサい男!」と、陰口を…
他人と接するとき
人は誰でも
防御バリアーを張る。
親密度に応じ
バリアーを解除していくが
男と女では
そのバリアーの種類が違っている。
女性のバリアーはどちらかというと
自分を守るために発動させている。
でも、男性の場合は少し違う。
未知なるものへの恐れに対し
防御するといってもよい。
結果的には同一かもしれないが
レベル的に考えれば異質と考える。
一般的に
好きな女性と付き合いたい男性は
女性が張った
バリアーを外すことを考える。
それが女性獲得の第一歩になる。
「オレはキケンではない」
「俺を信頼して」
といった想いを
あの手この手でアピールしていく。
もちろん
余分なことは考えずいきなり
「告白」という
行動を起こす者もいる。
また、そのときのノリで
お互いのフィーリングが合えば
その日のうちに
カップル成立なんてこともある。
男性が好きな女性に
アプローチしていくときは
当然の如く自分の防御バリアーを外す。
男性の防御バリアーは
それほど強固ではない。
ちよっとしたキッカケがあれば
簡単に崩壊してしまう。
どのようにすれば
男性の防御バリアーを
女性側から破ることができるか。
それは簡単。
男性の横に座ればよい。
それだけで、男たちのバリアーは
ボロボロになっていく……
並んで座り同じ景色を見ていると
ある種の連帯感を生み出す。
そういう心理が人間には起こる。
だから男性は
自発的に自分の横に座る女性に対し
強い親近感を抱いてしまう。
また、相手の女性に対しては
自分に親近感を持っていると
勝手に決め付けていくことになる。
女性との密着感があればあるほど
男たちはゾウさんのように
鼻の下をなが~くさせていく。(笑)
それは、防御バリアーの崩壊と
「男心」が動き出したことを意味している…
男性の横に座る。
それだけで
「男心」はイチコロ。
一撃必殺の力がある。
仮にそれで「男心」が動かないのなら
その男性とは
相性が合わないのかもしれない……。
キャバクラの客は
テーブルの向こうにいる女の子より
隣に座った女の子に親近感を抱く。
女の子たちは
そのことを充分に熟知している。
男たちの鼻の下を
なが~くさせねば商売にならない。
その姿を想像してみてください。
俺を含め、男って本当にバカ……(笑)
男性のタイプの中で
もっともたちが悪いのは
幼児的な性格の持ち主かもしれない。
この手のタイプは
なにかにつけ自分本位であり
物事に対しての責任感も薄く
世の中は自分の思い通りになると思っている。
少なくともそういう傾向性は強い。
好きな女性に求めるのは
母親であり、恋人であり、友人。
自分の都合に応じて
変身して欲しいと願っている。
いや、それが当然だと
決め付けているかもしれない。
幼児性の強い男性は
感情の起伏が激しいから
ある意味では、素直な性格といえる。
でも、だだをこねたりしたときは
ききわけのない子供と同じになってしまう。
また、自分の要求がとおらないと
暴力を振るうこともある。
平気で浮気が出来る男もこのタイプに多い…
だいたい、怒ったとき
物を壊したりするのは
幼児性の表れと思って間違いない。
幼児性の強い男性は
いくら外見がよくても
結婚すると苦労することになる。
だから、交際期間中に
見破らなければならない。
恋は盲目だから
恋に陥っている女性は
その眼力を弱めてしまうときもある。
だから、そういうときこそ
冷静に
男性の性分を観察することが必要。
外見や容姿がカッコいいからといって
内面までしっかりしているとは限らない…
そんなことは
誰でも承知しているはずだが
いざそういう人に巡り会うと…
そんなところに
「恋の落とし穴」がある。
落とし穴に落ちて
傷を負うのはあなたかもしれない…
結婚した
ほとんどの女性が口にするのが
結婚相手の変貌した姿。
「どうして男は
結婚すると変わってしまうの!」
という不満を口にする女性は少なくない。
あなただって例外ではではない。
男は結婚すると間違いなく変わる。
というより
真の姿を表す
といったほうがいいかもしれない。
「私の彼は違う……」なんて
言いたい女性もいるだろうが
おそらく結婚すれば
「何から何まで
変わってしまったわ……理解できない」
と嘆く。
恋愛中の男の心理状態は
分裂症患者によく似ているといわれている。
つまり、恋愛中の男性は
頭の中に
次々と空想や妄想がわいてきて
それを言葉でしゃべったり
自分で反応して笑みを浮かべたり
悲しい表情を浮かべてたりしてしまう。
そのような状況のときは
ハッキリいって正常とはいえない。
正常な人は頭の中で何かを連想しても
それを言葉に出したり
顔に表すことには
ある程度のブレーキがかかる。
そういう対応ができなくなるから
恋愛中の男性は
分裂症患者に似ているといわれている。
そういうときの男性は
仕事をしているときも
その他の日常生活の中でも
頭の中に恋人との連想が次々とわいてくる。
楽しい想像ばかりが頭を掠めていく。
だから、男性は恋人の前で
頭に浮かぶ楽しい出来事を口にする。
ロマンチックで夢のような
二人の世界を語ってしまう。
その言葉は女性の心に伝染していく。
そして、女性のほうには
夢に包まれたバラ色の
ステキな結婚生活が
頭の中に浮かんでいく……。
ところが、結婚してみると
男のほうは
仕事だつきあいだといって
帰りはいつも深夜。
日曜日になれば
「疲れた、疲れた」
と愚痴の連発を聞かされて
家の中でゴロゴロしているだけ……。
気がつけば
思い描いた結婚生活とは大違い。
かくて新妻たちは
夫にありったけの罵声を浴びせていく。
「嘘つき、ペテン師、裏切り者!!」
でも、男たちだけを
一方的に攻めるのは酷というもの。
なぜなら「男の妄想」を
エスカレートさせていく要因は
「女の魅力」にあるから…
周囲の人に対し
閉鎖的な生き方をしている者と
周囲に積極的に働きかけ
開放的な生き方をする者を比較した場合
明らかに
閉鎖的な者の方が短命の可能性がある。
つまり
孤独な人ほど先に病気になり死んでいく。
人はひとりでは生きられない。
とくに女性は
孤独になってはいけない。
なぜなら、女性の魅力である
明るさや柔軟性が失われていく。
男たちを惹きつける
輝きがくもってしまう。
「孤独」は
健康の敵であり女の敵でもある。
悩みがあるなら、勇気を出して
友人知人に相談したほうが良い。
でも、そういう人が周囲にいないなら
それも叶わぬのなら、犬やネコを相手に
悩みを打ち明けるのもよいのでは…
女性は楽観的に生きるべきです。
楽観主義というのは
いい加減に生きることではない。
何があっても
前向きに進む生き方を言う。
後ろ向きでは、NG。
今年活躍した
女性アスリートたちを見ればよく解る。
いかなるときも前向きに力強く進む姿は
とても美しく爽やかな印象を醸し出していた。
人間は幸せになるために生まれて来た。
決して不幸になるために生まれて来たのではない。
「孤独」を打ち破るのは
楽観主義ではないだろうか。
楽観主義の女性は
瑞々しい
「女の魅力」に包まれる……
女性は、誰でも他者より
優れていたいとか
自分だけは特別でいたい
という気持を持っている。
これは
「自己愛」といわれるもので
人にホメられたいとか
注目されたいという
欲求の表れである。
欲求が満たされないと
欲求不満になっていくこともある。
だから
女性は自己愛を満たすために
さまざまな努力をしていく。
ある意味でいえば
彼女たちが化粧をしたり
ファッションに気を使うのも
そういった欲求が
現出していると思ってよい。
女性は
人にホメられたいのである。
男たちに注目されたいと願っている。
努力したことが実を結べば
自己愛を満たすことができる。
だが、努力しても
人がホメてくれたり
注目してくれるとは限らない。
そうなると、ますます
欲求不満に苦しむことになる。
精神的な悪循環が
渦巻くようになっていく。
自己愛が満たされない女性は
ブランド品を買い求めるようになる。
なぜなら、ブランド品を持つと
誰かが注目してくるだろうし
うらやむ人が必ず現れる。
そこにあるのは優越感。
これによって、自己愛は満たされていく。
おそらく、それなりに充実感や
満足感を得ることになる。
しかし、もしかしたら
ブランド品を持つことによって
自分もハイレベルな人間だと
錯覚しているのかもしれない……。
ここに、モノを代替として
自己愛を満たそうとする女の実体がある。
自己愛が満たされたときの満足感は
女性にとってこたえられないものとなる。
人は金さえあれば
いくらでもモノにより
自己愛を満たせることができる。
そういう気持がエスカレートするとキケン。
ブランド品を手にするためには
手段を選ばないという状況になる
可能性も否定できない。
彼女がこういう状態に陥っているときは
気をつけてやるべきである。
ブランド品への執着心を解消させるためには
男たちのホメ言葉が必要。
ウソでもいいから
女性のどこかをホメて
感謝の気持を伝えてあげれば
自己愛を満たせるのではないだろうか…
女性は、モノではなく
自分の子どもで
自己愛を満たそうとする場合もある。
名門の小中学校や高校
一流大学に合格させることにより
自分の欲求を満たしていく。
「私はレベルが高い」
「私は誰よりも優れている」
という錯覚の中で
「子どものために」
というセリフを口にしながら…
女性に対する人の評価は
「おはようございます」
「こんにちは」
「さようなら」
「失礼します」といった
日常的な挨拶を基本とする傾向がある。
こういった挨拶が
明るく爽やかにできる女性は
誰にでも高評価されている。
挨拶は、とても大事な自己表現の一つであって
一般的に考えれば
できて当たり前の行為……。
ところが
最近の若い人たちの中には
キチンと出来ない人もいる。
また、そういうタイプの人は
挨拶ができたとしても
どこか澱んだ雰囲気を醸し出しているので
印象があまり良くない。
そんな中で
当たり前の挨拶が明るくできる女性は
男たちからしてみれば
「爽やかな人」
という印象を持つことになる。
つまり
そういったなにげない
自己表現が出来るか否かで
女性に対する評価が大きく変わってしまう。
もちろん、それだけで
女性のすべてを評価してしまうのは
正しいとはいえないけど…
でも、人物に対するイメージというものは
往々にして不条理な面から入っていくもの。
最初から正しく評価されるとは限らない。
爽やかな挨拶ができるということは
「礼儀を知っている」ということ。
服装に気を配り
態度はキビキビしていて
言葉をキチンと伝えることができる。
そんな女性を演じれば
男心は間違いなく動く。
なにも
「いい子ぶる」必要ない。
最低限の
「礼儀」を励行することが大切。
それだけで
「あの女性は礼儀を知っている」
といった高評価が下されていく……。
女性にとって好きと愛とは違う。
つまり
恋心と好意は別の感情だと思っている。
確かに心理学においても
恋愛と好意は
別の感情だとされているが
男性の捉え方は
女性とは違っている。
ある心理学調査によると
恋愛と好意の相関は
女性よりも男性のほうが
高いという結果が出ている。
つまり、男性は
好意と恋愛をより近いものと感じており
女性は好意と恋愛を
きっぱりと分けているという。
好意と恋愛を
はっきりと区別できない男性は
女性の好意を感じると
愛情の現われと思ってしまう。
だから、そういう状態が
長く続けば恋人関係になれるのでは
という判断をするようになる。
しかし、女性からしてみれば
好意関係が長く続いたからといって
恋心に発展しているわけではない。
あくまでも
好意は好意でしかないない。
でも、そういう男女の違いが
男性の先走りを
誘発させる要因になっている。
好意と恋愛の区別が
はっきりしている女性は
「○○までは友だち」
「○○からは恋人」
と
スイッチが入ったように切り替わる。
その明確な分岐点があるので
女性にとって恋愛は
ドラマチックであり
よりロマンチックなものに
感じることだろう。
男性は、女性ほど
大きな分岐点を持っていない。
だから、平気で
ふたりの恋愛記念日を忘れてしまう。
それは
決して愛情が薄いわけではなく
恋愛の感じ方が違うだけ…
人間の性格を「サド」「マゾ」
というふうに分けることがある。
「サド」はサディズム
「マゾ」はマゾヒズムといわれ
変体制の性欲に関する
用語として使われている。
今更説明も…
と思うけど…
「サド」は
身体的苦痛を他人に与えることによって
性的快感を味わう
「加虐性欲」のことであり
「マゾ」は
身体的苦痛を受けることによって
快感を得る
「被虐性欲」を意味している。
「サド・マゾ」の
一般的な使い方としては
ひとりの人間が
サド的要素とマゾ的要素を
どの程度ずつ持っているかを
表現するものとなっている。
サド的要素の強い人間は
他人をリードし
グループの中心にいなければ
気がすまない傾向があり
ストレートに感情表現をする。
一方、マゾ的要素の強い人間は
他人に依存する傾向が強く
注目を浴びるよりは
脇役に徹したいタイプといっていい。
感情表現は
遠まわしになりがちで
控えめになる傾向がある。
また、サド的人間は
人間関係において
それほど深く苦しむことはない。
だが、マゾ的人間は
いつまでも
悩み苦しんでいくに違いない。
サド的要素が強い人間と
マゾ的要素が強い人間の相性はよい。
能動的なサドど受動的なマゾ。
または
主導的なサドと従属的なマゾ
というふうに
性格の相補性が成立していく。
サド的な人間なのであるなら
マゾ的女性を彼女にしたほうが長続きする。
また、その逆でマゾ的な人間ならば
サド的女性と相性がいいはずである。
非常にうまくいっているカップルは
そういう点が
マッチしているのかもしれない。
ただ、こういう性格は
表面的な面では
判断しにくいので注意。
気の強そうな女性に見えても
実はマゾ的要素が強かったり
一見おとなしそうに感じる女性が
強いサド的要素を持っていたりする。
さて、あなたは
「サドっ子」ですか
それとも「マゾっ子」だろうか…
サド的な男女が衝突したら
不必要な争いが起こるかもしれない。
そうなったら
歌って踊ってごまかすしかない…
これを
”サド”オケサという…(笑)
女性の化粧には
いくつものパワーが秘められている。
外面が美しくなるのは
もちろんのこと
化粧することによって
内面まで変わってしまう。
また、男性から見た印象も
化粧の仕方によって大きく変わる。
魅力的な化粧のできる女性は
間違いなく好意的に見られる。
いうまでもなく
外面だけが女性のすべてではないが…
人間のパーソナル・スペースは
相手に対しての
自分の気持ちに応じ変化する。
女性は、化粧することにより
より以上に積極的になり
外向的な言動がとれるようになる。
それは、パーソナル・スペースが
小さくなったことを意味している。
したがって、女性は
化粧をして外面を変えることにより
本人が意識するしないにかかわらず
実際には
その人の行動や意識まで変えている。
ところで
最近の男性の中には
積極的に化粧する者がいる。
しかも
そういうタイプの男性は年々増えている。
男が男である以上
女性を求めていくのは当然。
男は、力の強さを誇示したり
外見的なカッコよさや
頭の良さを強調して
自分の優秀さを女性にアピールする。
「男らしさ」を前面に出して
女性たちにアピールするのは
男たちが持っている本能であって
「オス」が「メス」を獲得するための
求愛行動に他ならない。
「男のオシャレ」も
それらと同じ行為だといえる。
でも時代は変わった。
男たちは「男らしさ」よりも
「男の優しさ」で女性に
アピールするようになった。
その要因は、女性が「男らしさ」よりも
「男の優しさ」を求めるように変わったから…
そう考えるのが妥当かもしれない。
そして、「男の優しさ」は
結果的に「男の化粧」
へと繋がってしまった。
だから、男たちは
「美顔願望」を抱くようになった。
これからも、男たちの
美への関心は高まっていく。
もちろん、すべての男性が
そうだとはいえないが…
女性たちの意識に関係なく
女性が「男心」を
動かしている現実を知るべき。
やがて、男たちは
エステに通いスネ毛を剃り
化粧をしてデートに出掛けるようになるのでは…
男はどこまでいっても
「男らしく」ありたいもの。
「男のオシャレ」は
否定するものではなく
大切なことであって誰もが認めている。
でも「男の化粧」が
「男らしさ」に通ずるとは考えにくい…
女性は男たちに
大きな影響を与えている。
「男の命運」を握っているのは
いつの時代も女性なのだろう……

