「恋」は人から正常な思考能力を
奪ってしまうものなのかもしれない。
それだけ、人の心は複雑であり
「恋」には
危険な要素が含まれているといえる。
男性は好きな女性に
「愛」を与えるために努力する。
女性は一人の男性から
「愛」を得るために必死になる。
「欲望」という視点から考えれば
どちらも同じレベルかもしれないが
健気で純粋なのは女性のほうかもしれない。
極端なことだが
「恋」に溺れた人間は
一歩間違えれば犯罪者になりかねない。
ブレーキの利かない自動車のように
どこまでも突き進んでしまうかもしれない。
ブレーキとは、もちろん理性のこと。
理性が働くからこそ
普通の人間は犯罪を犯さない。
だが、現代社会の中では
ブレーキの壊れてしまった者のいかに多いことか…。
男のために自分の子供を虐待する母親がいる。
自分の欲望を満たすために
殺人を犯したり、会社の金を横領する者もいる。
ブレーキが壊れた人間は
破滅に向かって転がり落ちていく。
法に触れなければ
何をしてもよいという人もいるだろう。
確かにそれは間違いではない。
だからこそ「恋愛」を
美化するような風潮が社会の中にあるのかもしれない。
だが、「恋愛」のためなら
何をしてもよいと、皆が思うようになってしまえば
ブレーキの利かない人間が増え続け
世の中は大きく混乱してしまう。
人間のさまざま行動には
必ず何らかの結果が伴っている。
自分の責任のもとに
幸・不幸を感じなければならない。
自分の人生だから
どのような道を歩もうが
他人に干渉されるものではないだろう。
しかし
「恋」する人間の正常な思考能力が
弱化傾向にあるとしたら
客観的な他人のアドバイスには
耳を傾けるべきではないだろうか。
自分に都合のよいアドバイスをする者は
「いい人」で
都合の悪いアドバイスをする者は
「イヤな人」といった捉え方しかできないとしたら
あまりにも切なく悲しすぎる…。
現実的な女性が
現実を直視できなくなったときから
女性の悲劇が始まっていく。
それは時代の流れの中で
なくなることなく
繰り返されてきた悲哀といってもいい。
女性は悲劇のヒロインになってはいけない…。


























