自我とは、自分と他者を分離させ、これまで社会に順応させてきた意識。
これまで培ってきた自我と真我(本当の自分)を融合させていくことが大切。
そんなことを前回書きました。
では、本日は真我について。
真我とは、本当の自分です。
自我が自分と人を分離する意識であれば、
真我はすべてと繋がる意識といってもいいかもしれません。
心理学者ユングは、個々の意識の奥底の無意識の世界は繋がっていると提唱しています。
(ユングは、それを集合意識と名付けています。)
自我は自分と他者を分離するのですが、真我は、集合意識と繋がっている。
要は、私たちは本来、他者や社会と分離された存在ではなく、
深いご縁で繋がっているということです。
私にも不思議な体験が数多くあります。
例えば、…
あの人どうしてるかな?と思ったら、突然連絡があったり、
街中でばったり出逢ったり…
この体験は誰にでもあるように思いますし、集合意識のなせる業かと思います。
真我とは、自我だけに囚われていると理解できない世界かもしれません。
(トランスパーソナル心理学の領域の話しですが、
以前は胡散臭いと片づけられることがよくありました。)
書けば書くほどわけのわからない方向に行ってしまいそうなので、
冒頭に書きましたように、本当の自分という言い方が適しているように思います。
そして、もっとも申し上げたいのは、自分を正しく知るとは、…
自我だけでなく、真我にも目を向けることです。
では、真我に目を向けるとはどういうことなのか?
これは、自分の感情に目を向ける必要があります。
心からの”ありたい姿”を明確にすることを妨げる要因の一つに、
感情をマヒさせる、
https://blog.ameba.jp/ucs/entry/srventryupdateinput.do?id=12593711957
というものがありましたが、感情をマヒさせていては、真我の思いは
わからなくなります。
真我の思いは、感情を通してわかるということです。
感情は、快か不快です。
自分はどういうときが快なのか?
逆に、どういうときが不快なのか?
その時その時の感情に目を向けていく必要があります。
おそらくですが、快の感情を味わっているときは、一人だけの空間ではないはずです。
例えば、誰かに喜んでもらえたときとか、自分が役に立ったというときかと思います。
要は、自分と他者や社会と繋りを感じたときに快を味わっている。
これこそ真我の正体です。
先述しましたが、真我の世界は奥深い領域なので、あくまでもこれは出発地点。
その都度その都度出逢った真我と自我を融合させていく必要があります。
これは言葉を変えると、思考(頭)と想い(心)を統合していくこと。
自分のためと他者や社会との繋がりの統合。
そのあたりは次回にて書いていきたいと思います。
動画:心からの”ありたい姿”を「思い出し、実現していく瞑想~呼吸編~
瞑想は、真我にもつながりやすい手法です。
今回は、呼吸編。6分ほどの動画ですので、ぜひ、ご覧ください。
ご質問お問い合わせは、ココロジー研究所HPまで
http://cocolozy.com/