相手にわかってもらえないということは、得たいことが得られない。
果たして、何を得たいのか?
そんなことを前回書きました。
その得たいこととは?
それは、
愛情。
「なんだ、そんなこと?
そんなこと知ってるよ。
わかってもらえているということで、愛情を確認できるんでしょ。」
いやいや、そんな浅い話しではなのです。
そもそも愛情って、どういう愛情のことなのかを掘り下げる必要があるんです。
その起点は?
私たちは、大概の場合、何でもやってもらえていた頃があるんです。
それは、赤ちゃんの時代。
お腹がすくと、おぎゃーと泣けばミルクをもらえ、
愛情が欲しけりゃ、おぎゃーと泣けば抱いてもらえ、
おしめが気持ち悪けりゃ、おぎゃーと泣けば、きれいな
ものに変えてもらえ。
いろいろな要望に応えてもらえた時期があります。
もちろん、親も完ぺきではありませんので、すべての
要望を叶えてもらえたわけではないでしょうが。
やってもらえて当たり前の時期があったんです。
ただ、成長に伴って、何でも自分でやるように躾をされてきます。
ここで、誰でも思うんです。
何でもやってもらえ、100%愛情を感じれた時代が良かった。
でも、それは叶いません。
そうして、我慢を覚えていくのです。
ここで、そのプロセスをどう踏んできたかは重要なポイント。
うまくクリアできなかった場合、100%愛情を感じた時代の
ような愛情を人からもらいたいと思ってしまうのです。
それを、身近な人に要求していくことになるのです。
100%愛情をかけてもらえる、あの居心地の良い状態を。
私もうまくクリアできなかった一人です。
よって、身近な人にあの居心地の良い状態を叶えてほしくて、
随分、自分勝手なことをしてきました。
要は、甘えてしまったのです。
そして、恋愛だけでなく、大切な人たちを失ってきました。
では、成長過程で何をクリアしていく必要があったのか?
その辺りは、次回にて。