「前にいた会社は、本当に酷い会社でした。
メーカーだったのですが、卸会社に無理やり商品を
押し付けていたのです。
卸会社を見てて本当に気の毒に思いました。」
前にいた会社、という表現からわかると思いますが、この人(Aさん)
は、既にこの会社を退職しています。
そんな顧客の要望を無視した商売のやり方に、嫌気がさして
Aさんは退職されたそうです。
さてさて、この会社は、Aさんが言われるように本当に酷い
会社だったのでしょうか?
その会社の内情は私にはわかりません。
どんなことを伝えたとしましても、推測の域は出ません。
しかし、ひとつだけはっきり言えることがあります。
本当に本当に酷い会社だったら、社会から淘汰されて、この世には
企業として存在していないと思うのです。
聞くところによると、その会社は創業60周年を迎える会社だそうです。
しかも、無借金経営を身上としています。
堅実に経営され、その卸会社にとっても、なくてはならない会社
なのではないかと思うのです。
よって、少々の無理は、その卸会社も聞くのです。
それだけ恩恵を受けているからです。
完璧な会社なんて存在しません。
社員の雇用を守るために、我を通すこともあるのかもしれません。
要は、自らいた会社を酷い会社と評する、Aさんの方が私には
心配に映るのです。
自らいた会社の素晴らしいところ(60周年を迎える、無借金経営を
している等)は見ず、酷いところしか目に入らない。
しかも、その会社からお給金をいただいているのも関わらず、
(本来は会社の味方のはず)否定的な部分しか見えないところ
が心配なのです。
Aさんは、身内の人に対しても、そういう視点で見ているのでないだろうか?
それは、どこから来るのか?
Aさんは、『自己受容』出来ていないことが考えられるのです。
えっ、何でそうなるの?
はい、そのことにつきましては、また次回に。