人の不幸は蜜の味 | 転機は、無自覚に描いた人生脚本を描き直し、人生の成幸者になるための絶好の機会。

転機は、無自覚に描いた人生脚本を描き直し、人生の成幸者になるための絶好の機会。

禅(ご縁・縁起)×キャリア(自分らしい生き方の探求)×心理学(自分を知り他者を知る)⇒自分の起点に沿った豊かな未来を自らが創造。過去の観念や想念から出来上がった人生脚本を描き直し、自らの手で未来を創造し、ありたい姿を手に入れることができる新時代のメソッド。

興味関心のないことに対して、他人の優れた面を見ても何とも

思わないものですが・・・・・。




自分の興味関心のあることに対して、自分より優れた面を他者に

見ることにより、通常は ”妬み” を感じるものです。




そして、”妬み” の対象の人が失敗でもしようなら、それはそれで

ニャッ、としてしまう。




これはこれで仕方ない人間の特性かと思います。

(当然、私の中にも存在しています)




それを、人の不幸は蜜の味、という例えになっているのでしょう。




では、なぜ、”妬み” が発生するのでしょうか?




それは、人と自分の比較という認識から来ています。




人よりも自分が優れていると安心。

劣っていると、劣等感を持つという感覚でしょうか。




これを、精神分析心理学者のエリクソンは独自の人間発達論を

作り、児童期の過ごし方に要因があると述べています。




勉強や運動等を通じ、親近者から、他の子どもと比較され

褒められたり、けなされたりすることにより、生じた感覚なのです。




純真な心は、人との比較はしていないのですよね。




しかし、小さい頃に培った感覚(人との比較により優劣が決まる)は、

大人になっても無意識に生じる感覚として残り、・・・・。




そして、人の不幸が蜜の味になってしまうのです。




そうなると、無意識ではありますが、自分の幸せは人の不幸の上に

成り立っているという感覚になる場合も。




今、満たされていないと感じているときは、特にそう思ってしまうんです。




客観的にみればおかしなことですが、ついつい妬んでしまうのが人間。




では、人の不幸が蜜の味、という感覚に支配されている時どうすれば良いか?




それは、自分を知る絶好のチャンスです。




えっ、チャンス!




そうです。チャンスです。




この続きは、また次回に。