SECRET SOCIETY ? -5ページ目

『SECRET SOCIETY ?』 に関する調査報告書 5 (7)

男の写真が掲載されていたページには


新薬の開発に関する記事が記されてあった。


ある大学の教授がQOLについて研究し


東洋と西洋の枠を越えて


人生の質の向上を図ることを提唱しているという。


教授は大学の研究室で新薬の開発にも携わっていた。


サイトにアップされている写真は教授から提供されたものらしい。


新薬開発チームのメンバー。


その中にあの男の姿があった。


男は精神科医を目指す学生だった。


なぜ男は学生でありながら新薬の研究に関わっていたのか?


謎は多い。





質問を投げかけようと振り向いた瞬間、目の前に一枚の名刺が差し出された。



「詳しいことは直接先生に聴いてくれ」



教授とは取材をする過程で仲良くなったらしい。


今でも年に数回コンタクトを取っているようだ。


全てお見通し。




心でも読めるのだろうか。







プロフィールを見て思わず吹き出してしまった。



「何がおかしい」



ハンドルネームが漫画のタイトルだったから。


自分で書いた長所。


そっと呟いた。



「優しくて力持ち」



熊の頬が赤く染まった。


怖いけど憎めない男。


大きな手で背中を叩かれた。


地下室に響き渡る笑い声。


いまだ加減を知らない。


だが痛くなかった。


それがエールであることを理解していたから。


張り詰めた空気が一瞬で和んだ。


鼻が鳴った。


二人を包んだのはあの匂いだった。






  人生の質を高めるほろ苦い香り。






























































『SECRET SOCIETY ?』 に関する調査報告書 5 (6)

QOL>




『Heart To Heart』





心から心へ。


それがブログのタイトルだった。


熊らしい。


奥歯を噛み締めながら込み上げる笑いを必死で堪えた。


体が大きくて強面なのにどこか乙女のような繊細さを持っている。


からかっているのではない。


憎めないキャラを愛でているのだ。


心情を察したのか険しい表情で画面を指差した。



「内容に目を通せ」



暗黙の指示だった。


マウスのホイールを人さし指で転がしながら


ゆっくりと画面をスクロールさせた。


速読は得意分野である。


要点をおさえながら記事を黙読した。


内容はすべて医療関係のものだった。


基礎知識から専門的な知識に至るまで


様々な疾病に関して詳細な情報が記載されていた。


確認したところ現代医療で扱われている疾患については


つぶさに網羅されていた。


応急処置や救命の方途。


病院の紹介及び評価とその選び方。


他にも最新医療技術の発展状況や薬の効果と副作用など、


現代医療に関して患者の立場から知っておくべき情報が


事細かに記されていた。



QOLという言葉を知っているか?」




突然、背後から野太い声で問いかけられた。



「いいえ。初耳です」



背筋に緊張が走った。



「“quality of life”  略してQOL。つまり“人生の質”という意味だ」



QOL(人生の質)。


初めて耳にする新たな概念だった。


人生の大半をスポーツにかけた男。

それは同時に怪我との闘いでもあった。


両足の故障をきっかけにスポーツ外来に通い、


数回の手術を経て、入院とリハビリを繰り返した。


目の当たりにした医療現場。


実際に患者となり入院生活を体験したことで


医療というものに興味を抱いたという。





「非難と批判の違いを理解しているか?」



何となく違うことはわかるがそれを言葉で表現することは難しい。


「医療事故が起きたときにマスコミが挙ってするのが非難だ。


医療の可能性を信頼している。それ以上に人間の生きる力を信じている。


俺がブログで求めているのは非難じゃない。批判だ」




非難とは欠点・過失などを責めてとがめること。


批判とは人物・行為・判断・学説・作品など


 価値・能力・正当性・妥当性などを評価すること。




師の言葉が脳裏に浮んだ。


そういえば非難と批判の違いについてグレイブで講義を受けたことがあった。

ある記事について批判するように指示された。


そのときの教えである。



「非難とは欠点や過失を詰ること。つまり、悪いところを問い詰めて


責めることです。批判とは社会規範に則って是か非かを評価すること。


つまり、社会の中で人間にとってよいものであるかどうかを


判断して定めることです」



さらに二つの違いについても言及してくれた。



「非難は個人的な感情によるものですが、批判は社会的な


判断によるものです。前者は対象の悪いところだけを槍玉に挙げますが、


後者はよいところと悪いところを比較して吟味します。


非難は問題点を露にするだけで解決策を求めません。


一方、批判はあるべき姿を浮き彫りにすることで打開策につながります。


非難が破壊的な行動であるとすると、批判は建設的な行為と言えるでしょう」



自分の回答は批判ではなく非難だと指摘された。


感情的な詰問ではなく、理性的な評価。


批判するためには豊富な知識と明快な判断力が求められる。


若造には手に負えない仕事だった。


今の自分にはできるだろうか。





師は各社の新聞を机に並べて説いた。



「社説を比較してください。同じことを扱っていても考え方はそれぞれです。


報道がするべきことは正解をひとつに導くことではありません。


個人がすることです。


その為に選択肢をあたえること。それがジャーナリズムの務めです」




師は苦笑いしてぼやいた。


「我々がしていることは非難です」





批評家は嫌いだ。


きっと批判ではなく、非難に聞こえてしまうからだろう。


ひとりだけ好きな批評家がいた。


師が紹介してくれた人物だ。


彼は老衰でこの世を去った。


人は自らの思想を正当化させるためにより近い考えを擁護する傾向にある。


社会が異なれば考え方もそれぞれである。


しかし、賢人がこの世を旅立ったとき、


新聞各社は挙って彼の功績をたたえ、その死を悼んだ。


考えの違うものたちが一同に一人の人間の思想を評価したのである。


それは思想の違いを越えた真理があることの証明であり、


彼が真の批評家であった証拠である。



「老人を失うことは図書館を焼失することに等しい(諺)」


  (酒場で椅子を叩きながら祖国の歌を熱唱していた貿易商の黒人の話)




大きな財産を失った。


彼が最期に守ろうとしたもの。


それはナンバーナインだった。



ジャーナリストの仕事。


個々人があるべき姿を追求できるように情報を精査して選択肢を提供すること。


サイトに寄せられた読者のコメントを見て理解した。


熊がしていることは間違いなく批判である。


専門家ではないため医療を語るには限界がある。


それでも熊は言う。



「患者だからこそ見える真実がある」




人間には人生の質を追求する権利がある。


そのために医療は何ができるのか。


熊を突き動かすのは情熱。


その火種はQOLの追求に他ならない。


熊の言葉が忘れられない。








  「どれだけ生きるかではない。どう生きるかだ」





















































『SECRET SOCIETY ?』 に関する調査報告書 5 (5)

<シークレットベース>



暗闇へと続く螺旋階段。


手すりに摑まりながら一歩一歩、


確かめるように地下へと潜入した。


カツ、カツ、カツ。


渇いた靴の音が円筒内で反響した。


響き渡るリズム。


揺れる体。


遠ざかる意識とは裏腹に


小気味よい音楽が足元から聞こえてきた。


ピアノ。


トランペット。


ドラム。


サキソフォン。


ばらばらな音たちが軽快なリズムに乗ってひとつにまとまってゆく。


リードしているのはピアノの旋律。


即興的でありながら曲として成立していた。


聴いたことのない音。



「ジャズ?」



音に誘われて地底に到着。


目の前に広がったのは地下とは思えないほど広々とした空間だった。


そこはまるで高級ホテルのラウンジ。


外の蒸し暑さに比べ、中はひんやりとして快適だった。


照明は適度に抑えられ、大人の雰囲気が漂っていた。


何だろう。この感じは。


どこかで体感した感覚。


思い出せなかった。


とにかく気を抜くと瞼が落ちそうになるほど心地よい場所だった。


足を踏み入れて驚いた。


沈み込み。


板敷きの叩き付けるような刺激もよいが、


絨毯の包み込まれるような感触も捨てがたい。




顔を上げるとカウンターが目に飛び込んできた。


壁には様々な種類のカップと皿が対になってかけられていた。


ノリタケ。


マイセン。


有田焼。


あれは景徳鎮のものだろうか。


遠目なので本物かレプリカなのかは判別できなかったが、


博物館で目にするような絵柄が展示されるように並べられていた。


高級品ばかりではなかった。


市販のカップや手作りの陶器もあった。


横浜の元町あたりで取材したとき、ふと立ち寄ったカフェでは


ボトルではなくカップ・アンド・ソーサーがキープされていた。


きっと同様のシステムだろう。


持ち寄ったお気に入りのカップで大好きなコーヒーを頂く。


珈琲党には堪らないサービスだ。


顧客の私物だろうか。


デザインや形からなんとなくそれぞれの人物像が浮んできた。


棚を探してみたが酒類のボトルは見当たらなかった。


やはりバーではなくカフェなのだろうか。



カウンターの奥で何かが動いた。


視点を合わせると人影が映った。


髪の毛は白髪でオールバック。


整った髭。


身長は約180cm前後。


体は細身。


白いシャツに黒のスラックス。


黒の前掛けをしてカップを拭いていた。


寡黙な姿が紳士的で好印象。


マスター?


いつからいたのか。


まったく気配を感じることができなかった。




トン、トン、トン。


拳でテーブルを叩く音がした。


音の方向に視線を向けると赤いソファーに腰をかけた熊の後姿があった。


テーブルの上にノートパソコンを置き、


ごつい指で忙しくキーボードを叩いていた。


ソファーのサイズがボディーに合っていない。


会社でもそうだった。


すぐに椅子の背もたれを壊した。



「いくつ備品を無駄にするおつもりですか?」



庶務課のお局様に叱られている時。


唯一、熊がかわいく見えた瞬間だった。


デスクを叩くときは苛立っている時。


吹き零れる前に火を止めなくては。


カウンターの男に軽く会釈をすると、


笑いを噛み殺しながら急いで主のもとへと向かった。

 



熊と対面するように赤いソファーに勢いよく腰をかけた。


さらなる沈み込み。


全てを委ねると全身で感触を堪能した。


ベルベット。


包み込まれるようなフィット感。


どこの家具だろうか。


嫌いじゃない。


けっこう歩いたみたいだ。


ふくらはぎがはって、足の裏が陣じんじんした。


できることならば、


このままゆっくりと眠ってしまいたい。





熊が目の前で指を鳴らした。


慌てて飛び起きた。


目の前にはパソコンの画面。


あるブログサイトが開いてあった。



「ほら、最後列の一番左側。白衣を着て空を見上げている男。それが奴だ」。



拡大写真のため画像があらく細部まで確認することができなかった。


画面に近付いて男の顔を確かめた。


現場から遺留品を持ち出して逃げ去った男。


見た目は平凡な学生さん。


集合写真なのに



「空か」



そう言えば最近よく空を見上げるようになった。


一体、男の目には何が映っていたのだろうか。


目を見てふと感じた。


自由人?


気が合うかもな。


初めまして




      「フェイスレスマン」














































『SECRET SOCIETY ?』 に関する調査報告書 5 (4)

<大人の隠れ家>


タクシーを降りると暗闇に包まれた。


そこは郊外にある閑静な住宅街だった。


時計の針は日付変更線をまたごうとしていた。


家の灯りは消え、街灯だけが青白く瞬いていた。


光に誘われて無数の虫たちが飛び交っていた。


向かってはぶつかり、向かってはぶつかり。


街灯が放つ機械音。


虫たちが奏でる和音。


静寂の中で耳障りな音だけが不気味に響いていた。

見上げれば歪な月。


橙色の光を身にまとい、


漆黒の空で笑っていた。



ラビリンス。


右へ、左へ。


どれほど道を曲がったことだろう。


地図を見るのは苦手だ。


土地勘のない場所では迷子になりやすい。


逸れないように大きな背中だけを見つめた。


保護樹林に囲まれた下り坂。


道の途中で熊が止まった。


指示された方向には真っ暗な世界が広がっていた。


行き先を確かめるように眉を上げて反応をうかがった。


熊は顔色を変えずにゆっくりと頷いた。


足元を確認した。


丸い石が左右交互に埋め込まれていた。


どうやら横道に逸れるらしい。




山道を抜けるとひらけた場所に出た。


丘の上にあったのは木々に囲まれた木造の小屋だった。


ひっそりとした佇まい。


それは老木そのものだった。


外装に使用されている木材は輸入されたものだろう。


日本の木造建築で一般に使用される建材とは一味違っていた。


外気を防ぐためだろうか。外壁は頑丈な造りとなっていた。


異文化漂う民族的な雰囲気。


欧州。とりわけ寒い地域の建築様式ではないだろうか。


個性的なデザイン。


街中では目立つがこの場所ならしっくり行く。


「ここがお前の住処か」



熊が動いた。


厚く閉ざされた扉の前に立つと大きな手で


垂れ下がった鎖の輪をつかんだ。


ゆっくりと確実に一定のリズムを刻みながら、

手にした鎖を扉に打ち付けた。


コツ、コツ、コツ。


木材と鉱物がぶつかり合う音。


ギシッ、ギシッ、ギシッ。


呼応するように扉の奥から


板敷きを踏み締める音がした。


小窓が開き中からオレンジ色の光が漏れた。


逆行を浴びて浮かび上がったシルエット。


目を凝らしてみたが顔が見えない。


カチッ。


謎の人物は訪問者を確認すると鍵を開放し、


踵を返して姿を消した。


しばらくすると電灯に明かりが灯った。


顔を上げた。


小屋の両脇にアンティークの外灯がたっていた。


どこかの街路地で実際に使われていたものだろうか。


ランプのようなあたたかい光。


オレンジ色の光に照らされて小屋の外観が露になった。


闇に包まれた漆黒の小屋はミステリアスで魅力的だったが、


光に照らされて浮かび上がった姿も風情があった。





扉が閉まる音。


見渡すと、すでに熊の姿は消えていた。


ドアノブは鉄製で握りやすく、


外灯と同様にデザインが素敵だった。


扉には複数の彫り物が施されてあった。


さながら美術館のようだった。


指先で確かめた。


鎖の輪を辿ると目隠しをされた女性。


両手は翼と化し、全身は鎖で拘束されていた。


まるでサモノトラケのニケのようなフォルム。


中央には二人の男女。


周囲は茨で囲まれていた。


草花は細部までリアルに再現されてあった。


男は手にした林檎を落とし、


女はそれを拾っていた。


どこかで目にしたことのある構図。


意識が朦朧としていてうまく思い出せなかった。


茨の中にはプレートがはめ込まれていた。


指先でなぞった。


何か文字らしきものが彫られていた。


何語だろうか。


見たことがなかった。


なかからノックする音がした。


興味がわくと周りがすぐ見えなくなる。


悪い癖だ。


急いでドアノブに手を伸ばした。




内部は円形のドームになっていた。


見上げると

天井には細かな植物の絵がペイントされていた。


細密画のように緻密な紋様。


まるで大木の下から空を見上げたような風景。


ドーム全体がひとつの樹木のように感じられた。


壁にかけられた蝋燭の炎。


光が揺れる度に葉っぱたちが踊った。


に吹かれて揺れ動く草木のように。


部屋の中央には円形の欄干があった。


ぽっかりと空いたブラックホール。


地下へと続く螺旋階段。


暗闇の底から階段を踏み締める音だけが響いていた。


周囲を見渡した。


他に選択肢はない。


ここを越えると後戻りはできない。



「覚悟はあるのか?」



心の中で自問した。




       迷いはない。


































『SECRET SOCIETY ?』 に関する調査報告書 5 (3)

奥二重の瞼が二重になった。


ここからが話の肝。


体勢を立て直し円らな眼を見つめた。



「勝ち負けが問題じゃない。いい試合をして観客を喜ばせること。


それがすべて。勝ちにこだわってしけたゲームをするのは素人だ。


命削って稼いだお金を投資してくれるのだから、お客さんに


満足してもらわないとな。それがプロの仕事ってもんだ。


結果は後からついてくる」



両手で力強く肩をつかまれた。


体を大きく揺さぶられ、ぐっと引き寄せられると、                                                  


川縁で鮭を狙う熊のように鋭い眼光で見つめ返された。


まな板の上の鮭。


引きつった顔が戻らない。


経験則から導き出された解答には確かな説得力があった。



食い散らかした皮をお皿に集め、おしぼりで円卓を拭き始めた。


そろそろ話が終わる。


突然、店内の空気が一変した。


正座をした熊。


真剣な眼差しで問いかけてきた。

「キャッチャーがなぜ完全防備なのか知ってるかい?」


意地悪な質問をするタイプの人間ではないので素直に回答した。


「自分の身を守るため」

手にしたおしぼりを投げ捨てた。


不正解だった。



「確かにそれもある。だけど捕手が一番守らなければならないのは


投げられたボールだよ。速い球、高い球、不規則にバウンドする球。


投げられたボールはどんなものであっても体をはって前に落とさなければ


ならない。ボールを後ろにそらすこと。パスボール。それは命をはってでも


避けなくてはならないこと。すべてを受け止める強い心構え。


強靭な精神が必要なんだ。俺たちには」


熱弁のあと酔いが醒め冷静さを取り戻すと役割が一変した。


近況を尋ねられた。


当たり障りのない話をしようと考えていた。


裸でぶつかってきてくれた。


裸でぶつかるのが礼儀だろう。


何だろう。


この胸の奥から沸々と湧き出る感情は。


あの頃はボスに筒抜けだった。


もう関係ない。


今なら話せる。


山さんなら・・・


すべてを受け止めてくれる。



八方塞。


恥を忍んで現状を打ち明けた。


頷きながら黙って一通り話を聴いてくれた。


立ち上がりながら伝票を握り締めた。


反射的に手を伸ばそうとすると


大きな手で背中を叩かれた。


「ゆっくり話せるいいところがある。付き合えや」


現場から遺留品を持ち出して逃げ去った男。


「あいつを追っている」


背中に響く鈍痛。


変わらず加減を知らない。


すっかり視界が晴れた。





タクシーに乗り込んだ。


駆け抜けるネオン街。


車内の臭いに酔った。


ぼやける意識を抱きしめながら


窓に額をつけて外を眺めた。


隙間から流れ込む外気。


頬を撫でる冷たい風。


心地よい。


流れ行く無数の光。


何かが動き出す。


そんな気がした。




    


   久しぶりに鼻が鳴った。




















『SECRET SOCIETY ?』 に関する調査報告書 5 (2)

<飼いならされた名捕手>



「ひとつ、報告(ほうこく)」


「ひとつ、連絡(れんらく)」


「ひとつ、相談(そうだん)」



「いいか。上司とうまくやるためには“ほうれんそう”が重要だ」




ジョッキを片手に、鼻の下にビールの泡髭を蓄え、指を4本立てながら


お決まりの文句を上機嫌に熱弁している熊男。


猿の軍団に所属していた頃の直属の上司。


入社して初めてボスから紹介された社員。


社内で鬼教官と恐れられていた教育係の山さんだった。


会社のことから仕事のこと、人間関係からプライベートなことまで、


社会人としての生き方を一から叩き込まれた。


教わったことすべてが自分にとってプラスだったとは言えない。


しかし、その多くはいまも血肉となって息衝いている。





熊はボスに最も愛された部下だった。


ボスは仕事に関して冷血な男だった。


熊は仕事に関して熱血漢だった。


仲間たちはあたたかい場所を求めた。


ボスは熊に指示を出し、部下たちは熊を仰いだ。


離れ小島を結ぶ橋渡し的な役割。


誰もがその大きな背中に全幅の信頼を置いていた。


熊は社内でなくてはならない存在となっていた。




人と人をつなぐ仕事。


それは社内に限られたものではなかった。


営業。


それは需要と供給を結ぶ大切なお仕事。



通称:山さん


無類の野球狂。野球を題材にしたアニメの主人公と同姓同名であることを


きっかけに少年野球のチームに入団。甲子園を目指し青春を白球にのせ


て夢を追いかけたが足の怪我で断念。捨てた夢を拾い集め、現在、地元


の少年野球の監督に就任。自らも選手として社会人のシニアチームに


所属している。




「営業という仕事は野球で例えるならばキャッチャーのようなポジションだ。


監督からの指示を正確にメンバーに伝えるために常にベンチに気を配ら


なければならない。ライターや写真家など、作品を提供してくださる


先生方はピッチャーだ。それぞれに癖があり、持ち球が違う。


どのタイミングでどの球種を投げさせるか。判断力と決断力が求められる。


なかなか顔を縦に振らない投手もいるから骨が折れる。忍耐力が必要だ。


内野手と外野手。守備陣は社内のスタッフだ。三振を取ることが全て


ではない。わざと打たせてアウトを奪うこともある。どの選手がどのような


動きができるのか。選手を動かし陣形をまとめるのも捕手の大事な仕事。


つまり、ゲームメーカーさ。全体の流れをつかむ巨視的な視点が求められる」


     (自分の仕事について野球で例えた山さんの持論)




野球のことはよくわからない。


だが5回ほど耳にしたら何となく伝わってきた。


話が終わるたびに酒を飲み干し、空になった枝豆の皮をしゃぶりながら嘆いた。




「野球では投手が花形。投手の戦力でほぼ勝敗が決まる。捕手は裏方。


投手にとって女房役。世間の目は投手に向きがちだ。マスクかぶって


背中向けているから仕方ないのかもしれないけどさ。確かに投手の頑張りで


試合に勝ったのかもしれない。でもそれを陰で支えているのはうちらだよ。


なのに評価が低い」





泣いたり、笑ったり、怒ったり。


随分忙しい。


その度に愛想笑いを繰り返した。


自分でも驚いた。


自然と飛び出す嘘の笑顔。


沁み付いた営業スマイル。


どれだけ時間がたったのか。


あがった口角。


表情筋は強張ったまま戻らない。





   忘れていた記憶。

    

    忘れたい過去。





































































『SECRET SOCIETY ?』 に関する調査報告書 5 (1)

ネットワーク上で存在が確認されていた謎の集団


SECRET SOCIETY ?(秘密結社)に関して


独自に調査を開始してから約1年が経過した。



現場となったマンション周辺を取材。


自殺を図ったと見られる赤い頭巾の女性。


部屋を借りていた男。


両者の人物像は特定できず。


女の死亡を確認。


男の所在はいまだ不明のまま。



マンションの管理人と接触。


老夫婦から有力な情報を得るが


事実確認をした結果、


一部、証言の内容に信憑性に欠ける部分が見られた。




現時点において進展はない。








師に手紙を送った。


最後に筆を執ったのは1年前。


お孫さんの笑顔を目にした日だった。


自分が向き合う案件について率直に認めた。


あれは宣言だった。


いや、自分自身に対する誓いだったのかもしれない。


あれから1年。


成果のない状態で経過を報告するのは気が引けた。


だが報告は欠かすことができない。


猿の軍団の掟だから。


群れを抜け出してから数年。


骨の髄まで沁み込んだ教えは解放されてもなお抜けることはない。



「ほうれんそう」



かつて直属の上司だった山さんの口癖。


鬼教官のぼやきが頭のどこかで響いている。


山さんから電話があったのは、


師に報告の手紙を送った直後だった。



「久しぶりに叱られてみるか」



新人の頃を思い出しながら

ガード下の居酒屋へ向かった。




待ち合わせの時間30分前。


店のカウンターに腰を掛け、両手を大きく広げながら、


大将に向かって熱心に何かを語りかけている大柄の男。


あの背中。




    

         「なつかしい」























































































『SECRET SOCIETY ?』 に関する調査報告書 4 (5)

大好きな店がある。


70年以上の歴史を持つ老舗の和菓子屋だ。


大福にみたらし団子、おはぎに赤飯。


変わらない味を変わらない思いで守り続けている。


技の継承に警鐘が鳴らされている昨今。


最近になって三代目が後を継いだ。


先代が守り抜いた伝統の味。


若旦那が生み出す進化の味。


どちらも素敵な日本の文化である。




とりわけ大福が大好きだ。


もとは「大腹」と表記していた。


お腹が膨れるほどの大きさだったらしい。


今では100円ほどで一口サイズ。


お金で幸せをはかることはできない。


確かにそうである。


だが世の中はお金で勝手に価値が付けられている。


正直なところ、


なかなか付けられた幸せに満足することができない。


心が満たされることを幸せと呼ぶのならば、


確かにあの店の大福には100円の幸せが詰まっている。


一瞬ではあるが餡子のほのかな甘さに心が癒される。


数少ない納得のいく出会いである。




腹は空けども心は満ちる。


いいものはいい。


きっと伝わるはずだ。


おもてなし。


大切な人に贈る大切な味。




取材最終日。


菓子折りを持って事務所を訪れた。


残念ながらマンションの屋上には最後まで上がることはできなかった。


守秘義務があるため詳細な情報は開示できないという。


ふたりの悲しげな表情が忘れられない。


包装紙を豪快に破りとった。


大福を頬張りながら振り返る奥さん。


幸せを御裾分けしながら旦那さんの目を見つめた。


頷く御主人。


「独り言」


それは旅人に贈られた餞別だった。





最後の証言。


警察の捜査終了後、あるNPO団体がマンションの譲渡を依頼。


多額の資金を投入して土地および上物の権利を獲得したという。


同団体はマンションに関して現状維持を希望。


管理者の意向に沿う形で屋上は封鎖。


現在、関係者以外の立ち入りを禁止している。


屋上に上がるためには新たに管理者となった同団体の許可が必要となる。


奥さんは立ち上がりながら両手を叩いて手についた粉を落とした。


本棚からクリアファイルを掴み取ると挿んでおいたよれよれの紙を取り出した。


手渡されたのは新聞の折り込みチラシ。


裏側には達筆な字で事務所の所在地と連絡先が記してあった。





ざっくばらんに尋ねてきた。




「何かわかったのかい?」




軽い調子で答えた。




「何も」





最後は笑顔だった。


三人で笑った。


口に白い粉をつけて。







後日、マンションの管理者となったNPO団体を調べた。


ネットで検索したがなかなかヒットしない。

教えてもらった連絡先も不通。


事務所に指定された場所に足を運んだ。


こは小さな公園だった。





何年ぶりだろうか。


久しぶりにブランコにのった。


風を感じながら空を見上げて振り返った。




















騙されたのだろうか。



いや、



最期まで人間を信じることにしよう。




調査開始から1年が経過。





走った。


とにかく走った。





SECRET SOCIETY ?










          いまだ収穫はない。





 



QUEEN 『SECRET SOCIETY ? に関する調査報告書   4



          ― END






















































『SECRET SOCIETY ?』 に関する調査報告書 4 (4)

<マンションの管理人>



最初に耳にしたのは女性の声だった。


録音された音声ガイダンスのように淡々とした喋り口調。


受話器越しに営業が始まった。


一通り話を聞かされたあと、用件を尋ねられたので本題に入った。


部屋を借りていた男に関する取材と屋上への入室許可を打診したところ、


突然、大きな物音とともに回線が途切れた。


取材拒否は日常茶飯事のこと。


今回はおそらく長引くケースだろう。


時間は十分ある。



見えない床はない。





民家の一階を改築したガラス張りの事務所。


そこは老夫婦が経営する不動産屋だった。



「代々続く大地主の家系。影の有力者。


地元では知らない人はいない」


(土地の歴史に詳しい八百屋の証言)



マンションを含め、調査対象地域の不動産の大部分は


老夫婦が所有している。


出迎えてお茶を出してくれたのは御主人だった。


黙な人物で自然と風景に溶け込むタイプ。


店舗の奥で無言のままするべきことをそつなくこなしていた。


話をしてくれたのは奥さんだった。


おしゃべりで面倒見のよいタイプ。


興味のあることに関しては機関銃のように語った。


話が本題に及ぶとお茶を濁した。



それからしばらくの間、老夫婦のもとに通い続けた。


聞かされるのは日常の出来事や政治、経済の話。


だがそのほとんどがゴシップだった。


あの頃をふと思い出した。


プロ顔負けの批評家。


アマの切り口はときにプロをも越える。


彼女をスカウトしていればもっと本が売れたかもしれない。


いや、よしておこう。


ジャーナリズムにif(もしも)はない。


あるのは事実だけだ。





一度だけ奥さんが留守のときがあった。


近所の奥さん仲間とランチに出かけたらしい。


御主人と差しで向かい合ったのはその時が最初で最後だった。


事務所でお茶をすすりながらいろいろな話をした。


水を得た魚のように。


初対面では無骨な男に見えた。


時より見せる笑顔が子どものように無邪気。


どちらが先に告白したかでよく喧嘩していたが


奥さんが惚れた理由がなんとなくわかるような気がした。


このとき提供された情報は核心に迫るものだった。

目撃者の中で失踪した男とより近くより長く接触したのは御主人だけだった。





入居日。


異変を感じたのは廊下で大量のダンボール箱を業者も雇わずにひとりで運ぶ


男の姿を目にしたときだったという。手助けをしようと声をかけたが断られた。


日暮れを前にして再度尋ねてみたところ渋々提案を受け入れたという。


男の部屋ではすでに運び込まれた荷物がいくつか開封されていた。


部屋の奥には特殊な機材が設置され、それらを囲むようにテープやディスク、


雑誌や本などが山積みにされていたという。


殺気立った雰囲気。無言の圧力。


何も語らず。何も触れず。


早々に部屋を退出したそうである。



「そう言えばあの猟奇事件。


ニュースで目にした犯人の部屋の様子を思い出す」


(奥さんに「あれ」と呼ばれている不動産屋の御主人の証言)



あの事件から始まった気がする。


我々の心に大きな影を落とし、世界がカオスに染まった。


人間がいかに残酷であるかを見せられ


死が隣人であることを宣告された。


人に疑われないように生きることよりも


人を疑う生き方が常となった。


心に刺さった棘は残ったまま。


時たま飛び出す膿がなんとも痛ましい。


あれからいくつ太陽を拝んだことだろう。


未だ光は見えない。





憶測で判断するのは危険である。


歴史的な事件と安易に結びつけることはできないが


とにかく普通の部屋ではなかったようだ。


度々部屋に運び込まれていたダンボールの中身に関しては管轄外だという。


一体何が入っていたのだろうか?


最後にぼやいた言葉が心に引っ掛かっている。




「警察とともに部屋に入ったとき荷物はすべて空だった」



(人間好きの人間嫌い不動産屋の御主人の独り言)






          荷物の行方は?





















『SECRET SOCIETY ?』 に関する調査報告書 4 (3)

<マンション>



第一印象。


年代物の洋館を改築したとみられるゴシック調のマンション。


外観はレトロな雰囲気が漂うが、


構造的に内部の造りはしっかりしている。


歴史を刻み今もなお大地に根を張っている。


それだけで文化的な価値があるような気がする。


住んでみたい。


そう思わせる何かがあるところ。



「嫌いじゃない」






屋上。


緑が生い茂っている。


外部から確認できる範囲だけでも等間隔で数体の彫刻が飾られている。


建物自体には中世の湿っぽさが漂っているが、


屋上にはルネサンスの熱を感じる。


あそこにはどんな世界が広がっているのだろうか?


とにかく自分の目で確かめたい。








内部に潜入。


蛻の殻。


人気や生活の匂いが微塵も感じられない。


行方不明の男が最後の住人だった。


現在、入居者はいない。


不動産に詳しい近所の住人の話によると、



「数年前から状況は変わっていない」


(町内で長老と呼ばれている男性の証言)





階段を見つけると屋上を目指して全力で駆け上った。


倒れ込むようにして目的地に到着。


息を切らせながら両手で鉄格子をつかんだ。


ジャラジャラと音を立てながら南京錠が揺れ動いた。


突きつけられた現実に愕然とした。


雁字搦めの鎖。


屋上へと続く扉は厳重に封鎖されていた。


あと一歩。


どうしても届かない。


目を凝らして見ると、扉の横の壁に張り紙がしてあった。


「入室厳禁! 管理人」


赤字で書かれた警告文。

魔除けの御札?


背負ったバックを肩から下ろすと筆記用具を取り出し、


キャップを口に咥えたまま赤字で書かれた連絡先をノートに写した。




直接交渉。



追い詰められた犬に残された最後の道。