本当は、ここの言葉は、たった1人の人だけに伝えたくて、ここに書くことではないと思う。お名前を出していいのかもわからない。今後の話で、相手はわかると思う。


もしもあなたがまだ、私の言うことに関心があって、目に触れたのなら、できるだけ早くにコメントかXに連絡が欲しい。無駄にアクセスされないように削除したい。話したくもないなら、それでもいい。たぶん、そういう縁なんだろう。

すべてあなたにお任せする。

リスクがあるけれど、でも、せめて、最後くらいは、イメージや比喩や曖昧な言葉ではなく、ちゃんと自分の言葉で間違いを受け止めて、自分の分の苦しみを受けるために書いている。

本当は、あなただけに伝えたいけれど、手段がない。

本当にそこにあなたがいるのか、確信はない。


とても長くなってしまって、お忙しい中、お時間を取らせます。ごめんなさい。


まずは、私が事のはじまりからずっと考えていて、今も考えていることを書く。

私のようで私ではないものが、メディアを賑わせているのを感じていた。どこからインスピレーションを得るかは自由だと思うし、現実と似て非なるものでも、それは構わないと思っていた。

有名でも無名でも、作家さんたちの意欲を刺激するような何かが、私の言葉や存在にあって、それで世界を豊かにする新しいものが生まれるなら、そのすべてに対してではないにしろ、光栄だ、と思うし、出来上がった作品にこめられた情熱も、善意も、悪意も、全部、まるで私のもののように感じられてしまうこともあったけれど、それはあくまで作家さんのものであって、私に似た虚像の中に自分の姿を映り込ませているだけで、私に関係のあることではない、とも思った。

あなたの気持ちも、その一つなのかもしれない、とずっと思って、信じきれずにいた。

あなたは、私に似た虚像に向かって、まるで本物のように愛を歌うことで、自分の創作の世界を豊かにしようとしているだけなんじゃないか、と思っていたし、今もこの思いは捨てられていない。

なぜなら、あなたは歌うばかりで、私にはなんの連絡もない。XのDMは公開にしてあるはずで、もしも現実的な関係を望んでいるなら、私はあなたの方からの連絡を待っていていいはずだと思った。見も知らない他人に、あなたのような人がそんなことをするのはリスクが大きすぎることはわかるし、ネット上の私の振る舞いは気まぐれで、信頼しきれないこともわかる。私の方からも連絡が取れないか探してみたが、やり方が分からなかった。加えて、あなたが私に何を期待しているのかもよくわからなかった。単にブログの更新を楽しみにしている、と言うことなのか、本当に恋愛関係を持ちたいということなのか。

SNSの更新はまばらで、おざなりで、言葉は足りないし、断片的で、申し訳ないとは思う。でも、今の私にとってのブログは、気晴らしでしかなく、本当に気が向いて、体調が良いときにしかやるつもりはない。近い人になら、近況を話せるけれど、知らない人には話せない。今の私にとっては、健康管理が一番大事で、実際、今年も始めから、頭痛薬の在庫調整があり、手に入る薬が減って、体調管理に苦心していた。今も在庫は不透明で。健康上の問題は繊細なので、これ以上知らぬ人に公にしたくない。年月が重なっていて、不審に思われているかもしれないけれど、ここで詳しくは説明できない。遅々としているかもしれないが、試行錯誤しながら前進はしていると思う。多分、一般的に想像されるよりは複雑なことが起こっている。無為に月日を過ごして満足しているわけではないが、無理はできないと思っている。ともかく、私の事情を聞いてどう判断するか、私をどう見るかは、あなたの価値観に委ねられていて、私が口出しすることでもない。それ以外にもいくつか出来事があったけれど、ブログで書くようなことではない。

私がいくつか未熟な小説を書いたら、あなたはいくつか曲を作り、私が一枚の下手くそな絵を描いたら、あなたはいくつか曲を作った。でも、それだけのことで、私にはそれ以上のこととは思えなかった。

全ての始まりは、私の小説で、私は勝手にあなたの歌を使って、勝手なことを書き、勝手なことを言ってしまった。だから、元はと言えば、私のせいなのかもしれない。

ごめんなさいと謝りたいけれど、まるで会話をするみたいに、私の言葉やイメージが、あなたの中で形になって返ってくるのを見るのは、楽しかった。でも、まるで本物のような言葉が返ってくるたびに、私は動揺していて、あなたの語る愛も恋もなんなのか、わからなくなった。虚構か、本心か。

一度はあのような場で、反応を迫られたから、あなたのことも慮って、良い返事を返したつもりだが、本当ならば、きちんと恋愛関係になれる状況でもなかったので、憧れはしても求めていたわけではなかった。私もあなたを知らないし、あなたも私を知らないのだから、直接伝える場ができたら、改めてお話ししようと思っていた。

もしも本当に気持ちがあったと言うのなら、たとえ私が話したくもないような悪人だったとしても、お別れくらいはちゃんと歌でなく、私1人に、あなたの普段の言葉で聞きたかった。確かでないまま告白をされて、確かでないまま浮かれて、最後には、何も告げられず罵られているんだとしたら、辛いし、悔しい。ブログ上では言いたくない事情や経緯が私にもあることを思いやってほしかった。仮初にも好意を持った相手に対する態度として不実に感じるし、あなたの語る愛に対しても不信感を持ってしまう。

もしも本気ではなく、創作上の話だったと言うのなら、面倒な人間がのこのこ出てきて、もて遊ばれていると忍び笑って、無視してくれていい。どれほど笑われても、あなたが本当はどんな人でも、真剣な気持ちを受け取っていたなら、どんな形でも、私はちゃんと大切にして、応えたいと思ったので、こんな愚かで不恰好なことをしている。


異論があるならお聞きしたい。

見ての通り、SNSの扱いは不器用なので、その点で何か落ち度があって、傷つけてしまったことがあるなら、謝りたい。また、私のやり方も最善ではなかったかもしれない。


次に、謝りたいことがいくつかある。

一つは、私があなたの歌声について、簡単に他の人と比較してしまったこと。それぞれの個性があるし、曲調も、ジャンルもあるし、何もわかっていなかったと反省している。何も知らない素人がいうことでもなかったと思う。

私は評論家ではないし、音楽もよくわからない素人なので、ここから先はまた、真剣なあなたを怒らせるだけだろうし、何を偉そうにと謗られることを覚悟しながら、私が何を聞いて、どういう感想を持ったのかを具体的に話して、ちゃんとあなたに怒られようと思う。

あなたの歌声は、たまにNの音のある単語が鼻母音のような響きを持っていて、「恋をしていたあなたに」「それだけが確か」「あなたは私の光」の三箇所の部分が、掠れることがあって、それが悲しみの表現なのかなと思った。

一方で、エド・シーランの歌声も、センテンスの末尾がかすかに掠れる部分がいくつかあり、感情が盛り上がる部分のsingの発音だけが特に、それに合わせて鼻母音になる。ためた行間に静かに漏れる吐息が、泣いているような印象を与えて、声の表現がストーリーに合っていて、多彩と思った。

私があなたの曲の好きなところは、歌声や旋律の音の後ろに、細かく効果音のような音が入っていて、それがシーンによって使い分けられてるように感じられるところ。あの曲では、ウェッ音が印象的だし、キラキラと輝くような音とか、歌詞を強調するように歌声が二重になったり、日差しのような響き、とか、叫び声のような響き、知識のない私にはなんと言うのか知らない音色が散りばめられていて、素敵だと思った。

全体の曲の印象では、静かに涙を流すエド・シーランより、あなたの方が、声をあげたり、嗚咽を漏らしたりして、激しい悲しみを表現しているように思えたけれど、歌声における表現は三箇所程度に感じたので、声の感情は抑え気味だな、と感じてしまった。でも、それ以外の部分の音の表現が多様で細かいから、声まで表情豊かだとうるさいかもしれない。

見当違いで、稚拙な感想かもしれない。


もう一つは、正確には、謝りたいことというよりは、誤解されているのだとしたら、それを解いておきたい。

私は一度も、「愛も恋もくだらない」というテーマでものを書いたことはない。そういう文章を書いたことはあるけれど、それをテーマにしたことは一度もない。でも、あまりに私が拙くて、うまく伝えられなくて、間違った印象を与えていたんだとしたら、弁解したい。愛について、私がどう考えているのかは、ここではうまく言えそうにない。矛盾した気持ちもあるし、無秩序に散らばってもいる。私が考える愛の一つの側面は、眠る深海魚の絵のようだけど、何も言わずにいればいいという意図ではなかった。お互いを知ろうとする努力は大事だ。ただ一方で、どれだけ言葉を尽くしても、うまく言えないこと、伝わらないことはあって、どれだけのことを聞いても、理解できないこともある。対話して理解し合うことと、理解できずとも沈黙のままそばにいようとすることは、両方ともが愛だと感じる。だから、マクドナルドで深夜まで話し合って、お互いが眠りこけるまで、相手を置いて席を立たなかった2人は、愛し合っているのかな、と思った。これは多分私の独特の解釈で、単純に疲れ切った2人の恋人という風景かもしれない。愛し合うことが、運命なのか、確率なのか、打算や計算なのか、遺伝子の保存欲求なのか、脳内のホルモンバランスなのか、自由意志があるのか、は、よくわからない。愛について、たくさんのイメージが私の中にあるけれど、この場では話すことではない。

ただ、一つだけ、私が好きな話を話せば、もしかしたら私がどういう人間かわかりやすいかもしれない。それは、成功哲学の本を読んでいたときに出会ったエピソードで、どの本か忘れてしまって、記憶で話すけれど、最前線で活躍する工場の所長にインタビューをしにいったら、最新流行の家具で設られた所長室に、古びてみすぼらしい聖書が一冊あって、最新技術を扱う場所に古臭い宗教の本は似つかわしくないと、訪問者が不審に思って聞いてみたら、所長が、「流行は目まぐるしく変わり、すぐに古びて消えていくけれど、その中でも古いものは変わらずに残るので、ここにあるものなかで、遠くの未来まで残る最新のものはこれです」と話した、ということ。私はキリスト教徒ではないし、これは欧米の本だから、キリスト教の聖書なのだろうと思うけれど、どの宗教も愛を説くものならば、愛はくだらなくはないと思う。孫悟空が精一杯の速さで筋斗雲を飛ばして、お釈迦様から遠ざかろうとしても、その手の中から出られなかったように。どちらも、もしかしたら「古い」本かもしれないけれど、そういうことを信じたいなと思う。今は、愛のためにはあまりにめまぐるしい。いろいろ考えることはあるけれど、ここではやめる。

他の誰でもなくあなたに、誤解されたままいるのは辛いと思って、話があちこちに飛んで、長くなってしまった。


また、精力的に創作活動に励んでいて、常にあなたにインスピレーションを与え続けてくれる存在を期待しているのなら、それは私ではない。他の方を探した方が良いと思う。


すべて創作上の架空の話だったら、場違いなこと恐縮です。こんな長文に付き合って頂き、ありがとう。これ以上何をいうつもりもないので、お仕事を頑張ってください。


もしかしたら、無駄が多くて感情的な文章だったかもしれない。

あなたを責めたいわけじゃなく、私がどう思っていたのかを伝えたかった。

知らないあなたを引き止めないし、そもそも私たちは出会ってすらいないので、さようならをいうのもおかしい。

ここまで読んでいただき、ありがとう。

活躍を遠くから応援しています。