一応、小説・エッセイ・ポエムジャンルに参加しているから、
ラインスタンプの話ばかりじゃなくて、
何か書くべきかなと思い始める。
最近、『極光のかげに』から始まって、
『女たちのシベリア抑留』、『夜と霧』と、
強制収容所についての本を続けて読んでいた。
「陰惨」という言葉ですら、まだ何か足りないと思わせるくらい、
「地獄のような」という形容ですら、陳腐で干からびて思われるくらい、
生きている人間の運命として、到底あってはならないような人生が
現実に存在していたことに対して、
どういう言葉と感情を持てばいいのか、戸惑う。
そのほとんどが声もなく、その苦しみを語る暇もなく、
まるで初めから存在しなかったように消えていくなかの一握りの、
おそらく「恵まれた」人たちが、
個人の苦しみを乗り越え、声を得て、
彼ら自身もきっと触れたくないだろう記憶を、公に語ってくれる。
人間には、どれほどのことができてしまうのか。
人生には、どういうことが起こり得てしまうのか。
その可能性の無限さは、上限がないように、下限もないようで、
自分の今いる場所が、どんなに頼りなく宙に浮くようなものなのかと思うと、
そんなところを平然と生きている自分もなかなかすごい、と思う。
日本への帰国のためだと乗せられた列車の行き先がシベリアだったり、
語学ができて優遇されたかと思えば、スパイ疑惑で懲罰されたり、
病院行きだと知らされた列車がガス室行きだったり。
理不尽を通り越した理不尽が幅を利かせる中では、
生きるためにした選択が死を招いたり、
死を招くと覚悟した選択が命を救ったりする。
そんなふうな話ばかり読んでいると、
私たちは生きているというよりは、
生かされているのだろか、と漠然と思う。
今までなんとか生きてこられているのは、
自分自身の力や選択によって、生きてきたというより、
もしかしたら、周囲の環境や人や、あるいは見えない何かによって、
生かされてきた結果なんじゃないか、とか。
もしもそうなら、
その生かそうとする力は何かの意味や目的を持っているはずで、
その意味は今の私には理解も及ばず、
ずっと理解できないままかもしれないけれど、
どんな人生にも、最後まで、無意味ということはないのかもしれないと思うし、
また、そうであって欲しいと思う。
