前回からの続き↓

 

 

只今、自分で自分にコンサルティング中…。


そして、無意識の領域に「自分には価値がない」と思っている自分がいることが判明

 

さらに深掘りしていくと「自分には価値がない」・・・というよりは「【そのままの】自分には価値がない」と思っていることに気付いた。

 

人に評価されたり、必要とされたり、試験に合格したり、面接で採用されたりすると、【一時的】には自分には価値があると思うことが出来る。人が認めてくれれば私にも価値があると思える・・・。

 

でも、人に認められなかったり、評価されなかったり、必要とされないと、【途端に】自分には価値がないと思うようになる。

自分で自分の価値を認めているわけではないので、【人に認めてもらえる自分】であることに一生懸命だった。

ゆえにいつのまにか【そのままの自分はダメで、人に認めてもらえる自分】に価値があると思うようになった。

 

キャリコンコニー(以下、CC):それはいつからですか?

 

コニー(以下、コ):うーん、小学生くらいかな、決定的だったのは中学生の時です。

 

CC:小学生、中学生の頃から【そのままの自分】はダメで、【人に認めてもらえる自分】に価値があると思うようになったのですね、何かあったのですか?

 

恥を忍んで暴露すると・・・

 

ある日、幼稚園の卒アルを見ていた時、桜の木の下でのまじめな集合写真で一人だけピースをしている子がいた。「いるよね、そういう変わった子」と思い、よく見てみると・・・自分でした爆笑

 

小学校の避難訓練で先生から「上履きのまま校庭に出るように」とあれだけ言われたにもかかわらず靴に履き替えてしまい、先生から「何やってんの!コニーさん!靴履き替えないでいいって言ったでしょ!」と言われ、慌てて靴から上履きに履き替えようとして「コニーさん!もういいから靴のまま早く校庭に避難しなさい!」とさらに怒られる私爆笑(しかもこのやり取りの間、私の後ろの列はずっと待機したままニヤニヤ)・・・訓練じゃなかったら全滅

 

梨狩り遠足で皮むき用のナイフ持参と言われ、学年で唯一「まな板」も持参した私。

もいだ梨をまな板で皮むき&カットしてたら周りを同級生や先生に取り囲まれ奇異の目で見られまくった爆笑

 

これはほんの一例で、まぁちょっと変わった子だったかもしれない。

 

そんな感じで、それでも周囲の大人たちは大らかで、おかげでまぁのびのび育ったものの、なんとなく自分は「間抜け」だなとか「ちょっと周りと一緒じゃないな」と思ったり、「クラスの中心的な子達(昔風にいうといわゆる「イケてる女子たち」)から目を付けられないようにしなきゃ」とか思って小さく小さくしようと【無意識に】していたように思う。

 

 さらに中学校に入ってからは「教師たちによる軍隊張りの支配」が蔓延る校風のなか、とある運動部の副部長だった私は後輩の失敗をフォローしなかった罪で部活の顧問から吊るし上げられ、学年主任と学級担任の先生に「コニーが反抗的で困る」と告げ口のような報告をされ、担任の先生から呼び出され「いくら白い花であったとしても先生が『黒だ』と言ったら『黒い花です』と言うものだ」と密室でお説教され、私が顧問の先生に反抗したという罪で部活動が無期限停止となったという経験をしました。

 結局、私が顧問の先生に謝罪して許しを請うまで、一か月以上部活動は停止のままでした。

 私は一体何を謝罪しなければならないのか分からないものの、私が謝らないと他の部員に迷惑がかかるし、とりあえず「全て私が悪かったです。申し訳ございませんでした。」と謝り続けました。

 部活動が再開されると、私の背番号は同学年部員の最後の番号になり、試合前のアップで集団で走る時には部長と並んで一番前だったのが、列の一番後ろに並ぶことになり、いつも集団の後ろについて走っていました。

 部活の時間以外でも、学年主任や担任の先生は「反逆児コニー」扱いし、その他の先生たちも見て見ぬふりをして誰も声をかけてくれなくなりました。

 

長くなりましたが、この経験から私は

「今後、絶対組織には属さない。属したとしても片足は外に出しておいていつでも脱出できるようにしておく」

「私は【本当の私】を外に出さない。出したらまたこんな風に【出る杭は打たれる】のだから」と自分に言い聞かせたのでした。

 

もうウン十年も前のことだけど、鮮明にあの時の記憶が蘇りました。

私は「私であること」を封印したのでした。

 

恐らく私は、【そのまま】だと規格外だったため、大人たちが規格にはめようとした結果だったのですが、私のはみ出た部分を否定された=そのままの自分ではダメだとなったのでしょう。

 

中学校時代の理不尽な経験(・・・そもそもの発端はミスした後輩で、副部長としてそれを見逃したということ)から大人たちが信用できなくなり、自分を殺し、どうしたらよいのか分からなくなりました。

(ちなみに親は、、、、お育ちの良い感じなので、支配的な先生達にどうしたらよいのか分からなくてフリーズしてしまい、私自身も親に何も言わなかったので、親の出る幕はありませんでした。)

 

CC:コニーさんはその時から【そのままの自分】を封印し【人に認められるはみ出さない自分】に価値を見出す生き方を選んだということですね。その生き方で生きてきて今、どんなお気持ちですか?

 

コ:生きづらいです。苦しいです。空しいです。抑圧された本来のはみ出した自分の部分がムクムクと騒ぎ、押さえつけようとすればするほど虚しさを感じ、そして今『こんなの嫌だー』と叫んでいる気がします。

 

CC:どうしたら、苦しくなくなると思いますか?

 

コ:規格外だっていいじゃないか、自分はスケールがでかいんだからしょうがないじゃないかと自分に言ってほしい!そんな自分を観念して認めてほしい!

 

CC:規格外だとまた中学校の時のように出る杭は打たれるのではありませんか?

 

コ:出る杭が打たれたら、もっと出すか、別の場所から杭を出すか、とにかく同じ轍は踏まない。「人は規格外のものを前にすると恐怖から排除しようとする」ということを学んだので、私に恐怖を感じている相手に負けることはない。大丈夫。

 

なんと頼もしくなったもんだ自分デレデレ

 

というわけで、規格外ゆえにこれからも理不尽な目に合うかもしれないけど、自分は規格外なんだから仕方がないと受け入れていこうと思いました。

 

なんか心軽くなった・・・そして私は強くなる笑

 

こーんな感じで自分コンサルティングは終了したのでした歩くスター

 

実際の私のコンサルティングも、クライアント様の前に進みたいけど進めない「何か」をクライアント様ご自身で探すお手伝い、そしてその「何か」を超えて自分の人生、自分のキャリアを自分の力で作るお手伝いをしていこうと考えています。