こんにちは!ブログへのご訪問ありがとうございます。

先日両親からもらっていた掛け軸を階段の所に掛けたら日本的な空間が出来て感激ラブ

やっぱりいいですね〜。

 

さて、ついつい正当化したくなってしまうこの心キョロキョロ

 

何か起きた時、ついつい、

「でも、こうなってああなって、だからこういう事になっちゃったのよ。」

 

とか、でも、だって、という言い訳、というかなんというか。。。何とか自分を正当化しようとしちゃうというか。。。

つい出てきちゃうんですよね。

 

私だけが悪かったんじゃないの、って。どうにかこうにか起きてしまった事を自分だけのせいではなかったんだからと思おうとしたり、だってこうだったんだから仕方がなかったんだと思おうとしたり。

 

そうする事によって守ろうとしているのは何だろう。。。

 

自分が悪いと思えばまずは素直に謝るだけでいい。

そうじゃない時はまずは相手の話をじっくり聞くだけでいい。

 

そこから建設的な話し合いをしたりお互いを理解しあうように努めればいい。

 

ほんとはもっと全てシンプルなはずなんだけど、複雑にしてしまう人間の心。

 

相手の話をじっくり聞く。反論や、ジャッジせず、じっくり聞く。これが簡単そうで結構難しかったりする。

 

でもやっぱりこれが大切なんだな〜。

 

こんにちは。ブログへご訪問ありがとうございます。イギリスよりお届けしています。

 

先日久しぶりに大きな「ボタン」を押されましたビックリマーク

 

ボタンというのは「感情のボタン」という事なんですが、誰かの言動によってそのボタンが押され、感情が乱れてしまうというものです。

 

とある大好きな人なんですが、この人は事あるごとに私の中のボタンを押してきてくれちゃいます。これでもか、という程に笑い泣き ああああああああああ

 

最近ずっとなかったんですが、先日久々にやられてしまいました!

 

もう何とも言えない感情がふつふつと湧き出てきてあまりにもきーっとなったので、掃除機をかけながらそれはそれはもうぶつぶつと感情を吐き出しておりました(笑)

 

内容はどうでもいいんですが、その言葉を聞いて「あなたがこういうことさえ言わなければ私はこんな思いをする事もなかったのに。」「そのせいで自分の事が嫌いになる、自分が心の狭い人のような氣にならされた。」とまぁこんな氣持ちが出てきたんですね。

 

出てきた感情は感情で受け止めてあげるべく、掃除機をかけながらその感情を思う存分(笑)ぶちまけて、言い尽くした後、落ち着きまして笑い泣き 

 

まぁ最初からわかってはいたんですが、ただその人はとあることを口にしただけだったんですが、それに私がいろんな解釈を付け加えまして、さらには自分の事を攻撃でもされたように感じていただけだったんです。でもボタンをしっかり押されちゃったので感情はとりあえず爆発しました(笑)

 

このボタン、押されるとほんっとうに嫌ですが、本当に嫌なほど自分を知る鍵になります。

だからチャンス。自分をもっと知るチャンスです。

なぜその言葉に反応するのか、なぜその行動に反応するのか。

 

今回のは全く関係のない話だったのに、実は私の中の「私は無能だ」という思い込みを刺激されたんです。相手はそんな事全然言ってないし、っていうか実は私には直接何も言ってないんです(汗)夫と話していたんですが、それを聞いた私が勝手に反応したんです(爆)

 

私の中の「私は無能だ」「私は何もできない」という思い込み、結構根深く、しぶとい(苦笑)

 

ボタンを押されるのは嫌だけど、でもやっぱりボタンを押してくれる人というのも自分をより深く知るためには大変ありがたーい存在なんだと改めて痛感したのでした。

 

 

こんにちは!イギリスよりMasakoです。

前回の記事から随分と時間が経ってしまい。。もう今年も師走ですね。

 

さて、昔「あすなろ白書」っていうドラマがありましたよねー、って年代がバレちゃう(笑)キムタクがまだ駆け出しの役者さんだったころですよね。懐かしいなぁ。ちょっと前にふとこの「あすなろ白書」を思い出して思い出にふけっていたんですが、すると昔よく聞いてたさだまさしさんの歌を思い出しました。

 

その名も 「明日檜 - あすなろ」

 

あすなろ白書のあすなろはこの樹木のあすなろから来ているのではないそうですが。

 

実は私さだまさしさんが好きで、昔よく聞いてたんですよね。

 

あすなろという樹は地方によってヒバとかツガルヒノキとかいろいろな呼び名があるそうです。漢字も翌檜だったり明日檜だったり。このあすなろという名前の由来はヒノキに似ている事から「明日はヒノキになろう」という意味だとされたりもしていますが、ほんとのところはどうか知りません。

 

頑張っても頑張ってもヒノキには絶対に慣れないので哀れな樹として、比喩として使われたりしていますね。

 

おっちょこちょいの私らしいなーと苦笑してしまうのが、さだまさしさんの明日檜では

 

あすなろ あすなろ いつまでたっても

あすなろ あすなろ 明日が見えない / 幸せが見えない

 

となっているんですが、長年私の頭の中では

 

あすなろ あすなろ いつまでたっても

あすなろ あすなろ ヒノキにはなれない

 

と変換されて歌ってたんですーー(笑)


しかもこのブログを書くにあたって一応歌詞を確認しておこうとおもってみたら。。。ビックリマーク

 

ヒノキにはなれない、なんてどこにも出てこないーー笑い泣き

 

まぁよっぽど私の頭の中では、「ヒノキになれない、かわいそうなアスナロ」という解説が印象深く刻み付けられていたのでしょう。。。

 

昔から人は何かをより優れたものとして扱い、自分もそうなりたいと願い、でもなれない事を憂う、そういう事を繰り返ししてきたのかな。だからこういう名前が付いたのかな、なんて想像したりします。明日、檜になろう、なりたい、でも絶対なれない、そう思ってしまう事による悲しみとか絶望感とか。

 

でもね、「あすなろ」に聞いたら、「え、何、別にヒノキになりたいなんて思ってないけど?私は私でとても幸せで満足してるけど?私がヒノキになりたいなんて、そんなこと誰が言ったの?私には私の美しさがありヒノキにはヒノキの美しさがある。私とヒノキを比べるなんてそんなくだらない、そんな事をしても無駄無駄。」きっとそんなことを言うでしょう。

 

「ヒノキ」になりたいと思っているうちは「アスナロ」の美しさは見えない。外ばかり見ているうちは内が見えてこない。

 

やっぱり自分の内側をみるしかない。そこに全ての答えがある。

ヒノキになりたいけどなれない自分。そういう風にしか思えない時は「自分」から逃げてる。

 

ヒノキも翌檜も両方ともそれぞれに美しく輝いてる。

 

そんな事を「あすなろ白書」から、「あすなろ」から改めて感じたのでした。

 

 

 

久々の投稿です!すっかり時間があいてしまいました。実はその間に引越しをしてました!子ども達4人と私の5人分、夫の分は夫にまかせたけど、なかなかの量がありました(笑)でも引越し屋さんを頼まず、友人の車&バンをかりて引越しを済ませました。

いやぁ一時はどうなる事かと思いましたが案外何とかなるもんで、何とかなりました〜。引越し先が決まるまでの道のりもなかなか面白いのですがそれはまたいつか。

 

さて、ミラクルとか奇跡って言ったら何を連想するかな〜。

 

みんなそれぞれいろいろあると思いますが、私は長い間「私の耳がきこえるようになったら奇跡だ」って思っていました。理由は不明なんだけど、私は小さい頃から左耳がきこえません。氣が付いた時にはそうだったから特に不自由はないんだけど、ある日とある代替治療を受けていた時に先生がこの耳は治るかもだねっておっしゃって、それ以来この耳が聞こえるようになるかもしれないんだ!って思って、そしたら奇跡だ、って思ったの。多分そこからかな〜、私にとっての奇跡=耳が治る事、ってなったのは。

 

とあるエネルギーワークを受けた時も、「この耳はきこえているはず」みたいな事を言われたりして(私の理解があっていればだけど、そのような事を言っているとその時の私は思った)、耳が治る、という奇跡をすごく求めていた時期がありました。

 

いろんな人の「奇跡ストーリー」を目にしたり読んだりする度に私の所には奇跡はこないなーって思ったりして。

 

こういう視点になっている時って「今既に起きている奇跡」をいとも簡単に見過ごしてしまうんですね。

 

という事にある時何かがきっかけで氣がついたら、なんとなんと「耳の奇跡(笑)」すでに起きてたんです!

あ、きこえるようになったわけではありません。

 

でも例えば、左耳がきこえない私、実は現代筝曲の第一人者である沢井一恵大先生に耳がいいわねって褒めてもらった事があるんです!わ〜い音譜

 

こんなの奇跡じゃないって言う人もいると思うけど(笑)

私にとっては奇跡ラブラブ

だって、海外在住中に一恵先生にとあるきっかけからお会いする事ができて師事する事が出来た事がもう既に奇跡だし!

 

そうやって考えてみると、奇跡って身近なところにたくさんあるんですね。っていうか奇跡の連続なのね!

 

そう思うともうただただ感謝感謝。

 

そういう風に感じながら毎日を過ごしてみるといつもの世界が、いつもの風景が違って見えてくる。

 

ここにいるという奇跡。

 

 

こんにちは!イギリスよりMasakoです。

 

ここの所ずっと忙しくしていて、氣がつけばもう5月も半ばですね〜!

庭にほったらかしにしていた植えているいちごちゃん(笑)がたくさんのお花を咲かせています。その中にはなんと9年位前に一番上の子と時折行っていたLittle Digger Clubと言う、植物に親しみましょう!っていう週1のクラブにたまたま参加した時に植えたいちごの苗から続いているものもあって、今年は例年になくお花をいっぱい咲かせているのでちょっと期待。そんなにたくさんもないんだけど、少しだけでもいちご収穫できるといいな〜音譜

 

さて、自分の事を必要もないのに下げている事ありませんか?

 

例えば誰かに褒められた時に、

 

いちいち欠点や自分としてはうまく出来てない所をあげたりとか、

 

誰かを褒める時には、

 

○○さんはすごいね、私なんて〜〜も出来ないのに、とか

 

私はこんななのに○○さんはすごいな〜、とか

 

別に自分を下げなくてもいいのに、シンプルにお褒めの言葉を受け取ったり、渡したりすればいいのに、わざわざ自分を下げる。

誰もそんな事頼んでないのに(笑)自分で自分を下げる。

 

私はよくしてました。っていうか無意識の内にしてたから自分ではそういう風にしているという感覚さえもなかったんだけど。

 

今もしがちだけど、以前と比べるとほんとにあんまりしなくなってる。そうする癖がある自分に氣がついてるから、しそうになった時に、おっとまたしそうだった!って止められる事も多いし、まぁしちゃっても、あらまたついしちゃった(笑)位で軽く流したり。

 

いやぁ、ほんと自分をわざわざ下げる必要ってないです。

お褒め言葉はありがたく頂戴しようラブラブ

誰かを褒めたい時は、すごいなって思ってる氣持ちだけをシンプルに伝えよう音譜

 

その方がお互い氣持ちがいいグッド!

 

そんな事を思ってブログに書こうと思ったのは実は4月。

そしたらちょうど時を同じくして飯干りえ奈さんがこんな記事を書いていらっしゃったのを読んだの→相手を敬って自分を低くする?! 

ずっとブログに書こうと思ってたんだけどバタバタしてたら1カ月以上たってた(笑)

 

人を褒める時に自分を下げると、褒めた事の価値は上がらない。

 

○○ができる私が褒める!とさらに相手の価値が上がる!

 

おぉー!すごい〜!

 

これをあてはめてみると、

 

「褒める時に自分を下げる必要はないって事は氣がついてたんですけど、さらに深いですね、すご〜い!」って感じかな音譜

 

そして、シンプルに褒めるだけでも自分をわざわざ下げて相手を褒めるより価値が上がるよねビックリマーク

 

自分をわざわざ下げる必要はないのだ〜ビックリマーク