いわゆる「メンドクサイ」シニアと出会うことが何回かあった。いずれも大量生産大量消費時代に高学歴を付けられ、その当時大企業で求められたジェネラリストを洗脳された面々。いまや還暦を超え、古希も見えてきたが高度成長期の豊かな食生活と衛生環境に支えられ、健康はそこまで損なわれていないためか、人手不足を補う要員として重宝されている。
ただ、精神は確実に老年期である。老年期に見られる典型的な「メンドクサイ」人が散らばっている。
私なりの対処法として「なるべく近づかない」ようにしている。中途半端に宴席を企画してくるが基本は断る。「付き合いは人脈を作れる」のは確かだ。でも、シニアの目的は「己の自慢話をすること」だからメンドクサイ。そんな人脈はいらない。宴席を企画する人もいれば、どうでもよいことに「無駄にこだわり」を示す人もいる。本人は「高品質こそがあるべき姿」と主張しているようだが、それは「都合の良い言い訳」で単に己の存在価値を確かめたいだけだ。これが上司だったりするとさらにメンドクサイ。私は基本「意見を言うことなく、いわれたことだけ適当に対応」することにしている。中途半端に意見を言おうものなら「待っていました」とばかりにこだわりを主張して、結局、余計時間がかかる。「かかわる時間を短く」することが最善の対応だと思っている私にとっては、「正しいか、間違っているか」よりも「リスク低く、とにかく早く離れたい」ことを目的に対応している。メンドクサイシニアほど、必死に「都合よく存在価値を確保」しようとする。「都合よく」というのが迷惑なところだ。「敬老」とはギブアンドテイクでいう「テイク」ならが、「老いては子に従え」が「ギブ」に当たるのではないか。「実ほど頭を垂れる稲穂かな」と人徳のある経営者は言っていた。まあ、「大量生産大量消費」時代の負の遺産なのかもしれない。AIがもう少し普及して行けば「知識が自慢のメンドクサイシニア」は必要なくなるだろう。それまで、なるべく近づないようにしよう。