12月1日に久しぶりに長文を対外発信できた。多分、5年ぶりや。この作業を通じていろいろと会得することができた。と、今だから言える。やっている最中は「還暦に近づくこの歳でなかなか大きなストレスだよなあ・・・・」と不安を抱えていた。細胞は衰える方向にしか進まないし、経済的に「まったく不安なし」なんてわけないし。そんななかでもなんとか発信できたのは何でだろう・・・・と一応振り返っておこうと思う。
①過去の経験で不安を軽減できた。過去にも長文を対外発信したことがある。まあ、あの時も「人格否定」と向き合わなくてはならなかった。周囲へのヒアリングはせなあかん。でも、周囲は玉石混交や。玉はたしかに「いいこと言う」と納得できる。同時に自分の知識不足と向き合うストレスはあるが、まあ、まだマシや。問題は石や。石は「いいたいこと」言ってくる。その大半は己の「自己主張」つまり、自己の不安を容赦なく投影してくる。石にとっては不安解消ができるチャンスを得ようと必死になる。これがメンドクサイ。アタシにとってはこの投影が「人格否定」に感じる。だからストレスになる。5年前もストレスで結局、蕁麻疹ができた。幸いにも「それだけ」で済んだのかもしれない。ただ、5年前は「会得」を実感できなかった。
②転職した2年前。初めての介護、不十分な知識に加えて「大型の石」と対峙することになった。まあ、アタシのこれまでの人生で「たまにある」ことだ。一見すると、その石は「真面目で経験豊富で便りにできる」ように見える。一方で「周囲からの期待をなんとか維持しようと己の不安と向き合えない」だから、他人に投影することで何とか維持することができている。この時は蕁麻疹まで行かなかった。それは「転職したから」だ。転職先は職責がゆるい。アタシはこれを「心のよりどころ」として有効活用できた。「まあ、いいや」で最後は乗り切れた。そして、ラッキーなことに「大型の石」が退職した。いやあ、これはラッキーやった。でも、この時も「会得」というより「運よくかわせた」くらいの実感だった。
③今年前半。法務関連の対外発信をすることになった。これは「人生初」だったので相当不安だった。「取引リスク」の土地勘がイマイチなアタシにとって「経験を活用」できない。「大型の石」は消えたけど、石はいる。メンドクサイ奴らの相手が負担だった。特にストレスだったのは上司への方向。まあ、これが典型的な「バブルの負の遺産」。高学歴だから確かに知識はある。ただ、仁徳がへなちょこ。だから、報告時に「なんかいちゃもん」つけないと気が済まない。「ちゃんと確認しろ」まではいい。「そのくらいちゃんとやれ」やて。「そのくらい」ってなんやねん。言い方もっと工夫せいよ。ものすごい人格否定をされたように感じて、自己肯定感下げられましたわ。おかげで両手指10本の甘皮むきまくる「自傷行為」がすっかり身に付きました。まあ、これは思い返せば「うん十年も前から」で、アタシにとってはこれで、「自分で抱える」ことで精神的平衡を保てているんでしょうな。
10本指の第一関節から上は「皮膚の色が違う」のが見た目でわかりますわ。親指と中指はケロイドのように「つるつる」です。自分が摂取してるコラーゲン的なものが全部ここに集中しているおかげで肩関節が痛いのかと思わざるを得ませんわ。
5年間の①~③を踏まえ、昨日「なんか降臨」してきたんです。「あ、なんか会得できたかも」と。きっかけは、12月1日の発信後に取り掛かっている社内文書です。これまた、汎用性を求めらているのでメンドクサイ人達と対峙しなくてはいけない。「まあ、言われたことだけ、やれば時間が解決する」とストレスを感じる時に唱える呪文をアタマのなかでイメージしながらメンドクサイ人の「自己主張」に付き合っていたのですが。
この人、「大型の石」や「バブルの負の遺産」と違って、不安の投影をしてきませんでした。これまで「メンドクサイ人=投影ちゃん」だと思っていたので「アレ?」と気づけたのです。
おかげで、「いままでのストレスに向き合った経験で会得できたモノがあった」と実感できました。いわゆる「自信を獲得できた」のです。「この歳で」っていうのが余計に「沁みて」いるのかもしれまへん。「まだ、イケる」と。いやあ、モチロン途中経過はいいことばかりではありませんでしたよ。でも「止まらず」に居られたのは、複合的な理由がありますわ。
アタシが関心のある心理学的な言い方では「生物」「社会」「心理」っていう要素ですな。生物としては「衰えているなり、生活できる健康状態を維持できた」。社会としては、時代、環境、経済っていうのが大きいように思います。心理は、レジリエンスでしょうな。まあ、大きいことはいいとして。
これからまた、「発信文書」と向き合う仕事をするうえで、今回「収穫」だったのは、「バブルの負の遺産」が明確化されたこと。いやあ、「あの人は正しい人だからなんとかついて行かなくては」と思いながらも、アタシの深層心理は「拒否」していた。それがストレスとして、下痢を起こしたり、自傷行為を誘発していたんですが、「なんか降臨」したおかげで「なんや、あいつ、間違っているやん」と実感できたのです。さらにおまけで「自信獲得」もできました。
そして「現実逃避時間確保」の重要性も実感できましたわ。今のアタシは「ながら古典落語」。朝のウォーキング、風呂の時に聞きながら・・・・がアタシには合っている。「身体が求めるインプットモノ」と出会えたおかげで、アタシのアウトプットも「この歳で」1段上げられたように思っています。それは経済的にも。
ストレスを血肉できた満月夜