3年ぶりの元日早朝ウォーキングは、思ったより「身近な初日の出」を求める人が多くて最初はびっくりした。それでも少し歩きながら「いい傾向なのかもしれない。これも動的平衡や」と思った。世の中の働き方改革に沿ってマスメディアは軒並み「再放送まみれ」。近所のスーパーも3が日休むところもある。物価高で控えている人たちも増えているのだろう。それでも「節目」が好きな人間たちは工夫をして「節目イベント」をしたがる。「ちょっと変わって来たな」と感じるのは「一律」ではなくたったことだろうか。高度経済成長期の「大量生産大量消費世代」はアラカン世代として一線を退いている。動きまくる20代後半はゆとり教育世代。家族が増える30代はデフレ世代。大量生産大量消費の「教科書通りの一律世代」と違って「ええかっこしい」が少ない。ええこっちゃ。「欲がない」んとちゃうねん。「身の丈を知っている」やな。身の丈で生きても大丈夫って知ってんねんな。これも「ええかっこしい」がシニアになって「メンドクサイ年寄り」になるよりどれだけマシか。ええかっこしいはな、「優越感」が必要やねん。そのためには「マウントとれる環境」が必要や。それは一人ではでけん。つまり「周りを巻き込む」ことが必須環境やねん。まあ、そんなメンドクサイ年寄りって昔もおったで。ただ、今と違って「匿名」はできひんかった。だから、結果として限度があってん。それはある意味、恵まれとってんな。今はな、そこが悲劇やで。匿名で死人を出すまでやれてしまう。本人は「承認欲求が欲しかっただけや」と思っているだろけど、止められへん。依存しやすくなってしまった。

「疲れる時代やでえ」とおもっててんけど。今日、初日の出している若者たちをみて、希望が持てました。「なんや、ちゃんと、”じゃない方”に行ってるやん」と。

AIがこれからますます普及すると、「事務職」ってことばが「幇間」のように落語でしか出てこない世の中になるかもしれません。幇間という職業は確かになくなりました。でも、「その必要とされるスキル」はちゃんと残っています。大企業や霞が関には「幇間スキルダダもれ」の人がウヨウヨいます。「ナントカサミット」とかでも見たことありますわ。

つまり、人が必要とするもの」は言い方が変わっても残るのでしょう。

世の中の変化は速くなっているといいます。それは「人工的なモノ」はそうかも分かりませんが、自然は人間ごときがちょちっとしたかてそうは簡単に変わりません。

「初日の出」なんて見たかて化学的にはなにも影響しません。せいぜい、低体温で風邪ひくことを実証できるくらいでしょうな。

それでも見る。見ると安心できるんですな。何に安心できるかというと「自分も自然の一部であること」を確認できるんですな。それを儀式というんでしょうな。その儀式は「目に見える」方がだれでもできて、共感しやすい。そうやって宗教ができてくるんでしょうな。祈りは人間が「最後の最後にできること」ですわな。その祈りがなくなってしまっては不安しか残りませんな。不安は生命力を奪います。その不安を払拭する手段を間違えると悲劇になりますわな。メンドクサイ年寄りがその典型ですわ。

大量生産大量消費世代はなぜあったのか?敗戦ですわな。日本が自立国になるには「経済」しかあらなんだ。

それが今朝のウォーキング風景を見ると「一律じゃない」が浸透しているように思う。本来、人間はこっちの方や。

「分断の時代」という人いる。それは「一律」を前提にすればそうかもわからん。ただ、分断しているのは経済格差への対応を無視せなんだら、そこまで割れないやろ。「衣食足りて礼節を知る」といいますな。衣食が分断せなんだら、礼節はのこるんとちゃうか。