人生を、自分自身が舵をとって進もうとするすべての人のことをリーダーと言ってます。

 

 

歴史は教養ですよ〜真顔

 

 

 

で、ただの教養にしないのが「リーダーのための歴史教室」。

 

あなたはリーダーで、あなたが歴史を作る主人公なのです。

 

 

 

<今日のあらすじ>

三国同盟に対して三国協商ができ、列強は勢力の均衡を保ちましたが、二極化が起こりました。バルカン半島のことを書いています。

 

 

 

昨日のつづき。

なぜヴィルヘム2世になってロシアとの軍事同盟をやめてしまったのか。

 

 

それは、ビスマルクを政界から追いやったヴィクトリア女王の外孫、ヴィルヘム2世の政治方針にありました。彼は、うまくうまく外交を展開していたビスマルクとは違って、各国のような帝国主義に則った政治を行いました。

 

 

帝国主義、つまりそれは植民地を持つということであり、積極的に植民地の争奪戦に参加し、その結果、今までは穏やかに関係を結んでいた列強諸国には迎合しないで武力で突き進むという結論でありました。

 

 

 

それまでビスマルクが考えていたのは、、、吹き出し吹き出し吹き出し

 

 

あしあとロシアとフランスが仲良くなろうとしていた

 

あしあとドイツとフランスは対立している

 

あしあとフランスとロシアが仲良しになっちゃうと、ドイツは対立相手(というか敵)に左右挟まれちゃう

 

あしあとドイツとしてはそれは避けたい

 

あしあとだからロシアと秘密軍事協定を結ぼう

 

 

という流れ吹き出し吹き出し吹き出し

だったわけだけれども、、、

 

 

ヴィルヘム2世の方針によって、ロシアを敵として扱う方向へと舵を切ったのです。そう、この先ドイツは、後に出てくる、バルカン半島をめぐる取り合いを、ロシアと行うことになります。糸の切れた風船爆弾という意味、ここでおわかりいただけたかしら風船爆弾

 

 

 

てわけで、はい、ここでようやく、上の図を見ながら文章を追ってくださいね。

 

 

ロシアは前々から仲良くしようとしていたフランスさんのところへ、今度はもうドイツという首輪がなくなったから遠慮なく近づいてゆき、フランスと露仏同盟を(1891)。

 

 

そしてまたフランスは、モロッコをめぐってドイツと対立していた最中だったから、イギリスに助けを求めて英仏協商を(1904)

 

 

さらにロシアとイギリスは中東と東アジアをめぐって英露協商(協商というのはそもそもこの地域はどの国が支配するとかしないとかを決めたものであって軍事同盟とは違うのですが)を(1907)。このときロシアは日露戦争に負けたところで、イギリスと手を組みたかったのです。一方イギリスもドイツの台頭を防ぐのにロシアを使いたかった。

 

 

 

そして、ドイツをめぐる三国同盟の対極を作る動き、違う言葉で言うとその同盟と同じ勢力を作って全体的な勢力の均衡を保とうとする動き、そしてそうやって自国の安全を確保しようとする動き、つまりそれが、第一次大戦前の列強国のやり方であり、露仏・英仏・英露がかけあわされた三国協商だったのです。

 

 

 

 

 

 

ここまで読んでようやく、この地図がなるほど納得できますね。

 

 

あ、、もし納得できない方は、

 

1納得できるようになるまでブログを振り返って読む

2それでもわからない場合はわたしにメッセージを書く(こちらからでも可)

3返事が来なかったら自分で調べる

 

ブログに書いたことは基本返事しません。

という流れでお願いしますちゅー

 

 

日露戦争(1904–1905)後の世界は、こういった形で3C対3Bだったり軍艦づくりで競い合ったり、と、ドイツとイギリスの対立を軸に展開した国際社会でありました。

 

 

 

↑建艦競争を皮肉った絵。こどもか!

 

 

 

 

さて、ヨーロッパ世界の同盟状況説明はちょっとここまでにして

 

 

東欧の、バルカン半島ってところにフォーカスを当てて行きますね。バルカン半島はここ。イタリアの横っちょのとこ。

西アジアのところでクリミア戦争の話を読んでいただいたかと思います。クリミア戦争は、このバルカン半島をめぐるロシアとヨーロッパの争いでしたね。瀕死と言われたオスマン帝国の支配下だったこのバルカン半島をめぐって、関係ないヨーロッパが口出しして介入し、ロシアと取り合った戦い。

 

 

ナイチンゲールが活躍したことでも有名です。

 

 

これもぜひ復習してくださいね。

 

 

 

で、このクリミア戦争ってのは、バルカン半島ってところを取り合いしたわけですね。で、実はそのクリミア戦争が起こる前に、この地に住んでいたたくさんの民族〜ギリシャ人アラブ人スラブ人たくさんの民族が、「もう、同じ民族同士みんなで独立しよ!!」てな具合にギリシャが独立、エジプトも独立し、ロシアが攻め入って・・・などのことがあった。

 

 

で、そこへビスマルクが調停にはいってひと段落したのですが、、、これでもやっぱりしこりがなくなったわけではなかった。むしろ、ビスマルクが調停に入ったことでヨーロッパ各国が「あれ、この土地、うまくすればうちの領土にできんじゃね?ニヒヒむふふ」と思惑を持つようになった。

 

そのときはドイツのビスマルクって人の存在がそういった思惑の火消し役になっただけだった。結局ビスマルクがいなくなったら状況が再燃。

 

 

続く

 

 

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わたしが普段、「歴史を学ぶのではない、歴史から学ぶための歴史教室」と表現しているのは、チラシの感想に書いている通り。歴史というのは、教科書に書いていることでも、このブログに書いていることでもなく、自分の歴史=人生も、同じなのです。だから、歴史を学ぶということは、自分自身を学ぶということなのです。

 

「人生を紐解いて未来につなげたい人、人生を大事にしたい人」にいいと思うとのこと。ご興味ある方はお問い合わせください。

 

いのししひとみコーチングオフィスのホームページいのしし

もっと先の未来へ。