人生を、自分自身が舵をとって進もうとするすべての人のことをリーダーと言ってます。

 

 

歴史は教養ですよ〜真顔

 

 

 

で、ただの教養にしないのが「リーダーのための歴史教室」。

 

あなたはリーダーで、あなたが歴史を作る主人公なのです。

 

 

 

<今日のあらすじ>

イギリス・フランス・ドイツ・ロシアの動きと同盟関係を解説しています。ビスマルクがいなくなったドイツはまるで糸の切れた風船爆弾でした。

 

 

 

まず、この頃のヨーロッパのわかりやすい地図を載せます。この頃といっても、これからお話しする少し前です。まだイギリスにはヴィクトリア女王がいて、ドイツにはビスマルクがいたとき。

 

 

帝国主義が開花する途上というのでしょうか、帝国主義が真っ向対立するのを各国のリーダーがどうにか避けていた時代とでも申しましょうか、そういったリーダーがヴィクトリア女王とかびすまるくだったわけだけれど。

 

 

 

 

で、この時結ばれていた同盟を手書きで書き加えた図を載せますね。説明はこの回をご覧ください。緑の文字、三帝同盟の下は三帝協商の間違いだと思われます。ゴメンナサイ

 

右差しこの回

 

 

 

 

 

はい、その上で昨日最後に説明しますと言った図を載せます。ちょっと、上の図とは向きが変わってしまうのでちょっと見づらいですね。

 

 

あっ、その前に上の図の、この左側、イギリスとフランスはアフリカをめぐって対立していました。その対立が実際の武力衝突=戦争となったのがファショダ事件でした。ファショダ事件のことは書きましたので復習してね。山川出版社世界史Aからの挑戦状もご覧くださいな下差し

 

 

 

ちなみにこのファショダ事件と同じ年に、フランスのルノー氏によって自動車が発明されました。

 

 

 

↑当時発明された自動車は前置きエンジン、後輪駆動だったらしいリムジン前

 

 

 

で、このファショダ事件、イギリスとフランスは武力衝突したのだけれども、和解しました。和解です。和解。和解して、それで、手を組むことにした。この時両者には、列強国同士がぶつかり合うのは良くないという判断があったんですね。で、手を組んだ。列強国同士のぶつかり合い(武力衝突)の激しさというか、底なしの底のなさっていうのがここでわかった。

 

 

 

一方ドイツのビスマルクの時、フランスを孤立させる政策を取りましたよね。そっちの対立は続いていて、そしてビスマルクは強制的に辞めさせられ、ヴィルヘム2世の積極的外交のときに再びフランスと対立。モロッコ事件が起こりました。

 

 

それはモロッコをめぐる二度の対立。フランスはイギリスとの上の一件があったので話し合いで解決しようと持ち出して、その際ですね、フランスはイギリスとスペインに応援を頼んだのです。で、結局3対1になっちゃった。ドイツも粘ったけれど、結局モロッコの保護権はフランスが持つということで、ドイツは得るところなしでした。

 

 

実はこのモロッコ事件はイギリスとフランスを仲違いさせようと、ドイツが仕組んだものだったんです。だから、そんな手には乗らないよ、ってな具合にあしらわれちゃったから、結局ドイツは何も得られなかったわけです。

 

 

戦争が回避されたことは喜ばしいことだったけれど、ドイツではそうではなかった。武力の用意があったのです。産業革命に乗り遅れたドイツは挽回して、19世紀終わり頃にはヨーロッパNo. 1の工業国にのし上がりました。もはやイギリスは世界の工場ではなくなった。その結果、武器がたくさん作れるようになったんですね。武器を使う場所が欲しいくらいに思っていたのだと勝手に推測。モロッコ事件の時にも、この工業力を見よとばかりに軍艦を派遣して、イギリスに挑発。

 

 

イギリスもその挑発にのってドイツと軍艦競争をしていました。

 

 

帝国主義ですから、資金力を背景に弱いものいじめしていた人たちが、列強国同士、つまりいじめる側がぶつかり合うと大変なことになるということを少しずつ理解していたが、それがわからなかったのがドイツ、という感じ。

 

 

たくさんジャイアンがいて、で、ジャイアン同士で喧嘩しても無駄!という解釈をしたのが英仏、ジャイアン同士で喧嘩してみなきゃわかんねーじゃねーか!ジャイアンは一人でいいんだ!と主張していたのがドイツ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてそれが各種同盟となって、、、

 

 

はい、それで、やっとこの下の図です。

 

 

 

ドイツのビスマルクが危惧していた通り、ロシアとオーストリアはバルカン半島をめぐって対立しました。

 

 

それによって、この3国で結んでいた三帝協商は消滅。

 

 

ビスマルク時代だったドイツはロシアと仲良くしておこうという意図がありましたが、ヴィルヘム2世になってからロシアとの親善関係(秘密軍事協定)の継続をやめてしまいます。それはなぜか。

 

 

全然図の説明に至っておりませんが、、、あせる長くなったので明日に続きます。ややこしいところなのでゆっくりいきましょう

 

 

 

ふんわり風船星参加者の85%以上が極めて有益な情報だったと答えた講座。世界の教養編〜パレスチナと宗教のこと〜。1月20日(日)高田馬場にて開催します。

 

パレスチナ紛争をたくさんの人に知ってもらうことが、まずは自分にできる貢献だと思っています。

右差し詳細・お申込みはこちら

 

 

 

ふんわり風船星海外赴任者向けプログラムを作りました。異文化理解セミナーはよく聞くのですが、自分たちのこと=日本を知るためのプログラムです。もちろん、歴史も取り入れてます。日本人として地球規模で広く観て考えられる赴任者を育てます。周りに合いそうな方がいらっしゃいましたらご紹介くださいm(_ _ )m

 

 

ふんわり風船星個人向けのオンラインプログラム、自分史編

 

わたしが普段、「歴史を学ぶのではない、歴史から学ぶための歴史教室」と表現しているのは、チラシの感想に書いている通り。歴史というのは、教科書に書いていることでも、このブログに書いていることでもなく、自分の歴史=人生も、同じなのです。だから、歴史を学ぶということは、自分自身を学ぶということなのです。

 

「人生を紐解いて未来につなげたい人、人生を大事にしたい人」にいいと思うとのこと。ご興味ある方はお問い合わせください。

 

チューリップピンクひとみコーチングオフィスのホームページチューリップ黄

もっと先の未来へ。