母へ
今日は母の命日。
全く個人的なことなので、ちょっと・・・と思われる方は、相田みつをさんの詩と
お花だけご覧になってくださいね。 ただ
最後の数年、ほとんどを家族だけとの触れ合いの中で過ごした母を
このブログの広い世界に、飛び立たせてあげたくて・・・
「その時の出逢いが 人生を根底から 変えることがある よき出逢いを」
相田みつを
玄関先のクリスマスローズ
かなり時が流れても、いつも想いだします。
物静かで、優しかった母、聡明だった母。
小さい頃、よく勉強を教えてくれました。
とても興味ある方法で、
大豆の発芽実験を家でしましたね。
水のないもの、空気のないもの、暗いところに置いたもの・・・
綿の上に乗った大豆を今でも良く覚えています。
アンリ・デュナンの話をしてくれましたね。
赤十字の事、知りました。
ジェンナーのお話には、びっくりしましたよ。
小さい頃、体が弱く、何回か入院した私。
風邪などの、病気になっても、よく本を読んでくれました。
世界文学全集の中の、アンデルセン童話が好きだった私。
あの声の抑揚は今でも、忘れません。
一緒に散歩した時は、草花の名前を教えてくれましたね。
「仏の座」,一番良く覚えています。
私が飼いたいって言った、ジュウシマツの世話、すっかり任せてしまいました。
人生でつらい事、悲しい事があった時に、心を癒す事ができるからと
ピアノを習わせてくれましたね。
小さい頃、一緒に連れてお嫁に行くと言っていた私、
末っ子でお母さん子の私は、言葉通り、ずーっと一緒に過ごしました。
時がはじけて、忘却のかなたへ行ったとき、
こんなにも、忘れさられる事が、つらいことだとは・・・
母の日に渡したお花への、あの優しい笑顔がない事が、
こんなに悲しいことだとは・・・
必死に、好きだったジグソーパズルをしたり、散歩したり、
お花を見たり、「歌のレッスンしましょ」と誘って、
私のピアノ伴奏で「花」や「ふるさと」などの唱歌を歌ったり・・・
静かな時を過ごしましたね。
遠くへ旅立っていき、最後に家から去るとき、
いつも歌ってた、「花」を弾いて送りました。
それからしばらく、私はピアノが弾けませんでした。
心配した姉が、フラメンコを勧めてくれて、
少しずつ、元気になりました。
お母さん、もう大丈夫、皆がささえてくれたから。
素晴らしいものに出会ったから。
もともと陽気な私だから
これからも元気に歩いていきます。
今日は「花」をピアノで弾きますね。
相田みつを美術館企画展~みんなほんもの
ホールCのあるガラス棟から
地上広場を挟んで、ホール棟を見ました。
東京国際フォーラムにフラメンコを観に行った帰り、
今まで行きたいと思いながらなかなか行かれなかった、
相田みつを美術館に行きました。
ちょうど、「みんなほんもの」という企画展が開催中でした。
これは、6月8日(日)までです。
相田みつを美術館は、作品を鑑賞するのに1時間、余韻に浸りながら
くつろぐのに1時間 【あなたの人生の2時間を過ごす場所】をコンセプトに
作られたそうです。
館内は相田みつをが毎朝散策した、八幡山古墳群をイメージし、
珪藻土で覆われています。 案内より
館内は歩くと柔らかい感じがしてここちよいです。
電子井戸、 散策の小道、 電子ブック など色々と趣向を凝らしたものがあり
楽しめます。
アトリエの再現コーナーがあったり、愛用の道具類が展示されていたりー
とても大きな硯や大小様々な筆。 直筆のノートには丸みのある文字が・・・
この撮影コーナーの左側が「散策の小道」です。
道に自然の風景をイメージした映像が映し出されます。
とても可愛らしくて、何度も行ったり、来たりしました!
作品はどれも心に残る味わいのあるものばかりでしたが、
いくつか私の好きなものを・・・
「てのひらにわがこのせたれば にんげんのそのはじまりのいのちがうごく」
「育てたように子は育つ」
「つまづいたっていいじゃないか人間だもの」
「どのような道を どのように歩くとも いのちいっぱいに 生きればいいぞ」
「あのときのあの苦しみも あのときのあの悲しみも
みんな肥料になったんだなあ じぶんが自分になるための」
「しんじつだけが魂をうつ」
「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」
そして、
「一生感動 一生青春」 !!!
どれも、有名で一度は目にした、耳にしたことのあるものだと思います。
今の私は、最後の言葉が一番。
マリア・パヘス舞踊団公演~セルフポートレイト
かなり前のこと、マリア・パヘス舞踊団公演を観に行った。
場所は東京国際フォーラム ホールC。
フラメンコを観るのは大好き。
フラメンコをあまり知らない人でも、かなり前に話題になった、
「リバーダンス」に出演していたマリア・パヘスといえば、
知っている人も多いだろう。
私はこの「リバーダンス」も、
カルロス・サウラ監督の「フラメンコ」ーこれにも出演ーも
ビデオで観たけれど、舞台は初めてだった。
始まる直前の緊張感ー期待の大きさを物語るように、
息を詰めるがごとく、私は舞台を見つめる。
少し暗めの照明の中、舞台奥にかなり丈の高い鏡がひとつ。
後ろ向きのマリア・パヘス。 衣装も黒、シンプルかつ、
彼女の造形的美しさを際立たせている。
I am what I dance
神聖であると同時に冒涜的ですらあるかもしれないけれど、
外側から称えられるだけではなく、
内から込み上げてくる美の恩恵を分かちあうために、私は踊るのです。
― マリア・パヘス
「私は踊りそのもの」と言う彼女の言葉通り、内なる踊りは
フラメンコの旋律とともに、
素晴らしいほどに、しなやかに、伸びやかに、力強く、激しく・・・そして、
一番、印象的だったのは、他の、
今まで私が観たスペイン人の公演のどれよりも
静寂感が心に染み渡ったこと。
そして、今回、照明の見事な効果も印象的だった。シルエットの美しさ。
鷲の翼を広げたような腕。
セルフポートレイトの題目の通り、
自分の踊りの人生を振り返るというスタイルで舞台は続く。
「スタジオにて」 「私の家で」 「楽屋にて」 「舞台にて」
渾身の踊り!
休憩なしの、ノンストップで舞台は続き、
この事が、内なる想いの高まりをよく表現し、
同時に、見ている側の舞台そのものへの高揚感を助長する。
衣装も華やかさを増して、
最後のアレグリアスで「喜び」のラストへと!
自然と涙が溢れ、
あちこちで起こる、スタンディングオベーション。
拍手の波。
終演後、
しばし、座り込む私。
こんなにも心揺さぶられたのに、いえ、フラメンコが大好きで、
今や私の中心といっていいくらいなのに、
このところ、気持ちがふらふらしていてー前から少し悩みというか、
思うところがあって、
練習にも前ほど、身が入らなくなっていた。
誰かに相談しなくては・・・
普段の生活からも、フラメンコが少し遠のいていた。
その時、厳しくも温かい言葉ー「持っているもの、全て教えるから・・・」
泣きそうになった。
勿論、私にではなく、そのクラスに発せられた、言葉だけれど・・・
たとえ、前に進むのが、1センチずつだったとしても、出来る限り、
その言葉に答えよう。
アティエンポとコントラティエンポのように。
びっくり! 山鳩だったはずなのに~
ある日のこと、ベランダから山鳩が見えました。以前にもこの木に巣を作って、
ヒナがかえったことがあったので、また来てくれたのかなって思って、
急いで写真を撮り、そーっと家の中に入りました。
ベランダから2メートルくらいのところなので。
でもまた、見たくなってしまって、ベランダに出て、近づいたら・・・
山鳩は見えず、
写真の右端のあたりの奥から、いきなり顔を出して、飛び出してきたのは!
真っ黒いカラス!!! キャーーー
あまりのショックに倒れて、寝込んでしまいましたーというのはジョークだけど。
隣の家の屋根の上で、しばらくキョロキョロしていましたが、
あきらめて飛んでいってしまいました。
もしかして、山鳩の巣に乱入していたのかーそれとも自分の巣にしようと
していたのか。とっても心配。
でも、カラスの方も、私にびっくりしたのかも!
その後、山鳩は見かけず、私を慰めるように、
メジロやシジュウカラが鳴いていたのです。。。
横浜~港の見える丘公園
入り口あたりの「はなみずき」です。
少し前の画像なので、もう散ってしまったかも・・
ここからまっすぐ歩いていきますと、展望台からパノラマ的に見渡せます!
遠くにベイブリッジが見えます。そして視点を左に移すと、
マリンタワーや横浜港が。
みなとみらい地区も見えますね。
公園には、こんな素敵な噴水が。
実は昔、ここから20~30分の所に住んでいて、(今は違いますが)
ここで写生をしたことがあるのです。
たぶん、幼稚園か小学校の低学年の頃だったと思います。
その時は、遠くに見えるあの赤レンガの建物ではありませんでした。
この日は平日だったので、人はまばらでしたが、
近くに住む外人の方でしょうか、
赤ちゃん連れの家族がいて、ゆったりとした時間を
楽しんでいるかのようでした。
右側のベンチには・・・
この公園のすぐ向かい側に
横浜インターナショナルスクールが
あります。
お休みの日だったのでしょうか・・・
この赤レンガの建物は「 大佛次郎記念館」です。
横浜で生まれ、横浜を多く描いた作家です。
館内には、生涯を紹介する資料の展示の他に、愛猫家でもあった作家が
所蔵していた猫の置物も多数展示されているそうです。
今の時期は公園内のバラ園がとても綺麗だと思います!











