2011年12月31日まで生き延びることができた。
すべての霊に感謝する。
30日、白山神社にお礼参りに行く。
1997年にふとした拍子にこの神社にお参りし、
たまたまカバンに有った仕上がったばかりのCDを神殿前に供えた。
それから間もなく癌を発病。
年が変わった1998年、入院先のベッドの上で見た「ジャズライフ」誌。
97年度の最優秀新人アーチィスト賞に僕が選ばれていた。
そして癌からも生還することができた。
その98年の12月の暮れ以来毎年酒一升ぶら下げてお礼参りを相方と行っている。
昨日は白山から友人夫婦が経営している亀戸にあるカフェに行ってきた。
繁盛している。
嬉しい。
帰宅して久々に福生にいる弟に電話した。
我々兄弟の人生は摩訶不思議な物語。
元気そうで安心した。
嬉しい。
弟に電話した後、、、、
昔のことを思い出した。
当時小学4~5年だった男子3人。
そしてそれから今まで縁のあった小、中、高校生達の顔。
僕は教育者ではない。
教育実習も途中で放り投げた。
だから教員免許はない。
教員免許を持つ父は高校教師だったが途中で「人を教育する資格がない」と言って有名校の教師を辞めた。
僕はただ単に生活の為に人に教えた。
上に書いた最初の3人に教えたのは音楽ではない。
算数と国語。
3人のうち1人がクラスで一番になった。
今気になるのは他の2人の子。
今現在40は楽に越してる年齢になっているはずだ。
元気でいて欲しい。
それから近所の子の高校受験。
見事公立高校が受かった。
その子とは今も連絡がある。
ここまではサラリーマンをしながらの副職だった。
独立して初めてサックスを教えた。
生活の為である。
厳しく教えた。
半分は自分の為であった。
音高、音大へ優秀な成績で進んだ。
この子は今プロとなっている。
アメリカはカーネギーホールでも演奏した。
すごいね。
中学生の時遠くから通っていた子が今は美人の大人。
しかも良く僕になついている、、、笑
そう思ってるのは僕だけか、、、汗
でも嬉しい。
それから多くの生徒が来るようになった。
相方とチームを組んでイギリス王立音楽院の試験は皆最高点をとらした。
その中でも日本における最高得点者が僕達の生徒だったと最近聞いた。
とても大きな賞状を貰ったと言っていた。
だったらもっと早く言ってよ、、、という話に当然なる。
こちらは生活がかかっている。笑
そのインターナショナルスクールの最初の生徒にレッスンした曲が下の曲。
これはヤマハのコンテスト参加曲。
とてもアレンジが良く今でもバックのリズムセクションと弦が頭に入っている。
結果は残念だったが、でも急遽「特別賞」を作ってくれた。
横浜ヤマハさん、ありがとうございました。
この大変だった2011年、おおみそか。
今まで縁のあった子供さん達の顔を思い出している。
ただただ元気で幸せに暮らしていてくれれば良い。
そう
願って
いる。