皆さま、「葬送のフリーレン」をご存じですか?
我が家ではみんながお気に入りの魔法使いの物語。

「葬送のフリーレン」を家族で観ていた際、
算数のセンスに繋がる気づきがありました。


今回はそのことを綴っていきたいと思います。
脱線気味なテーマですがお付き合いください。

 


■魔法はイメージの世界
物語に「ユーベル」という3級魔法使いが登場します。
彼女は2級魔法使いへの昇級試験で事件を起こします。

2級魔法使いへの昇級試験は、
頑強な防御魔法が施されたコートを着る試験官に対し、
受験者は魔法を使って何かしらの攻撃をしかけ、
試験官を一歩でも後退させれば昇級合格という内容。

少しでも魔法の心得がある者が試験官の前に立つと、
防御魔法が何重にも張り巡らされていることが分かり、
どんな魔法でも「打ち破るイメージ」が持てない状態。

合格者が出ないまま、ユーベルの出番が回ってきます。
「あれ? 切りすぎちゃった・・・」
瞬く間に無敵のコートごと試験官を真っ二つに・・・


場面は変わり、事情聴取を受けるユーベル。

事情聴取をする1級魔法使いは問います、
「あの無敵のコートをどうやって切ったのか?」

ユーベルは答えます、
「布(コート)は切れて当たり前のものでしょ?」

驚嘆しつつ1級魔法使いは考えます、
「この子は常軌を逸している・・・

 普通は何重にも防御魔法を纏ったコートを見たら、
 論理的かつ知性的に「無理だ」と認識するはずだ。

 それなのにこの子はいったい何者なのだ?
 「布は切れるモノ」というイメージだけで
 あの防御魔法を切ってしまったというのか・・・」


イメージできないことは魔法で具現化できない。

イメージできることは魔法で具現化できる。

「魔法はイメージの世界」


■算数はイメージの世界
ユーベルのこのシーンを観た際、ふと思ったんです。
算数の難問に対するアサとシマの差に似ていると。

アサは難問に対してその問題がどれだけ難しいか、
論理的かつ知性的に解答可否を判断していました。

アサは算数が苦手であったとは思いませんが、
一定の実力があったからこそ、難解さ見通して、
「解けるイメージ」をできなかったとも言えます。


一方のシマといえば、
眼前の問題に論理的かつ知性的な値踏みはせず・・・
というより「値踏みをする」という考え自体がなく、
想いのままに手を動かしていくのがシマの流儀です。

「解けるイメージ」しか持っていないとも言えます。


このスタンスの違いが算数の成績に表れており、
算数テストの大問6や大問7で顕著な差が出ます。

何重にも張り巡らされた難易度の装甲に対して、
 (1)しか解かないアサ
 (3)まで挑戦するシマ

ふたりの算数平均偏差値は4~5の差があります。
しかし、解答力という観点では偏差値以上に
シマの方が圧倒的な力を持っていると感じます。

ふたりは入塾までほぼ同じ教材と演習量をこなし、
入塾後はアサの方が演習量は多いくらいです。

このため、この差は学習量(演習量)の差ではなく、
天性の「思考の癖」の差ではないかと感じています。
もしかしたらコレを才覚と言うのかもしれません。

所謂「算数はセンス」と言われる所以は、

「解けるイメージ」を持てるか否かかもしれません。


「算数はイメージの世界」
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