忘れられない昭和の名優たち①山田太一&向田邦子に愛された杉浦直樹 | con-satoのブログ

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 BSでは時折、昭和のドラマを放映している。レギュラーなのはBS松竹東急の「木下恵介アワー」1960年代の「木下恵介劇場」から70年代の「木下恵介アワー」まで25作作られたテレビドラマ。

 BS松竹東急で現在放映しているのは、この枠の最終作になった1974年の「我が子は他人」。赤ちゃんの取り違えに揺れるふたつの家族を描くドラマ。このドラマに主演しているのが杉浦直樹。子供を取り違えられた父親で、高校の先生を演じている。奥さん役は林三美智子。相手方の夫婦は松山省二と音無美紀子。

 杉浦直樹が基本は舞台俳優ではあるけど、文学座や俳優座のような名門の出ではないので、その意味では、日本の演劇のメインストリームを歩んでいない。

 映像分野では50年代後半から映画にも多く出演しているけど、映画では仲代達也のような代表作がない。演技の上手い人なのだけど、その意味では決定打のない人だった。

 大きく花ひらくのは70年代以降。テレビドラマを中心にするようになってから。山田太一、向田邦子というテレビドラマの黄金期を飾った脚本家に愛されたて、それが代表作になった。

 山田太一とは「木下恵介アワー」森田健作主演の「たんとんとん」に出演したことをきっかけに72年の「知らない同志」74年の「真夜中のあいさつ」75年「江分利満氏の優雅な生活」76年の「高原へいらっしゃい」と連続出演。そして77年の大ヒット作「岸部のアルバム」が登場する。この時期、山田太一は完全に杉浦にあてがきで脚本を書いていたのだろう。



 そして、もうひとり杉浦と組んだのが「あ・うん」の向田邦子。さらに後に舞台演出家として成功した福田陽一郎。


 何度も繰り返し、この俳優と組みたいと思われるような優秀な俳優だったのだ。どうして映画では仲代達也や山崎努、緒形拳のような代表作がないのか、それは不思議。欲のない人だったのだろうか。