大正の末期に生まれた父親。終戦は海軍の兵士として台湾で迎えた。父親に言わせてると海軍に配属されたのはラッキーだった、そうだ。その頃は戦況も厳しい状況だったにも関わらず、海軍の上官には品格を重んじる傾向があったそうだ。
艦内のトイレは洋式。最初は戸惑ったらしいが、すぐに慣れたらしい。
そんな父親は演歌が嫌いだった。気がつくと口笛を吹いている人だったけど、それはカントリー音楽が多かった。
自分が育ったのは昭和のど真ん中。テレビは毎日、歌番組を放送。駅前のパチンコ屋から大ヴォリュームで流行歌が流れていた。
阿久悠が言ったように「街に歌があった時代」。大晦日の食卓は家族全員どころが、従業員のお兄さん、その友達まで誘って大宴会だった。
年代も違う、そんな人が集まって、レコ大、紅白を楽しみ会話をしながら見ていた。
演歌嫌いの父親は歌謡曲は好きだった。その中でも好みはポップな曲。カーラジオで聴いて「この曲知ってるか?」と得意げに聞いてきたのが、キャンディーズの「春一番」。ある時、ふと言ったのが「松田聖子の『風立ちぬ』はいい曲だな」というつぶやき。
やっぱり父はポップスが好きなのだと実感した。それにしても松田聖子の名前が出るとは思わなかった。
