「覇王別姫」のコン・リーを見て思う、山口百恵は引退しなければ大女優になれたのか? | con-satoのブログ

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 93年にカンヌ国際映画祭でパルムドールに輝いた中国映画の傑作「さらば、わが愛・覇王別姫」が公開30周年記念として4Kにリマスターして公開されている。

 「覇王別姫」といえばレスリー・チャンの代表作。俳優だけでなく歌手としても人気の高かったレスリー。香港映画がもっと勢いのあった80年代のアイドル。90年代にはこの映画のような本格的な作品に主演。俳優としても地位を固めていた。

 しかし、2003年香港のマンダリンホテルから飛び降り自殺。43歳だった。99年ウォン・カーワイ「ブエノスアイレス」に主演した際にゲイであることを公言。それから4年後の自死だから、そのことも影響したのだろうか。

 この映画で華麗な姫を演じるレスリーに対して、一人の男を取り合うのがコン・リー演じる菊仙。北京の売れっ子女郎で、人気俳優の妻に、なかば強引におさまるしたたかな女。夫に気を寄せるレスリーの蝶衣を仇のように思っている。

 コン・リーは87年チャン・イーモウの「赤いコーリャン」でデビュー。以降イーモウと組んで「菊豆」「紅夢」「秋菊の物語」とコンビ作品で名作を連打。中国を代表する大女優。

 デビュー当時は山口百恵に似ているということで「中国の山口百恵」と言われていた。実は山口百恵は「赤い疑惑」が中国で大ヒット。当時の中国では高倉健と並ぶ、有名外国俳優だった。

 この映画でもコン・リーは百恵に似ている。30年前よりも、その30年百恵が不在だったので、なおさら百恵に見える。80年に21歳で引退した百恵。あのまま引退せずにいたらコン・リーのような大女優になっていたのだろうか。

 映画俳優としての百恵。最高作はデビューの「伊豆の踊子」か。以降はヒットはしても、ヒット、効率(低予算・撮影期間)優先で、決して質が伴ったものではなかった。それなりの予算と撮影時間がかけられたのは引退作「古都」ぐらいだろう。

 その間に倉本聰は百恵を当て書きして「冬の華」(主演高倉健)を書いたがホリプロは拒否。(その役を演じたのは池上季実子)もし、これが実現していたら百恵の代表作になっていただろう。長谷川和彦の未完の映画「連合赤軍」もヒロインに百恵は考えていたそうだ。あのまま引退せずに大女優の道を歩むことになったのか?コン・リーの映画を観て、見果てぬ百恵を重ねて見た。