中森明菜の評伝「消えた歌姫」。まさに波瀾万丈なスターの光と影。 | con-satoのブログ

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 文藝春秋から出版された中森明菜の評伝「消えた歌姫」を読んだ。文藝春秋に掲載された内容をまとめた本。それだけに、いわゆる暴露本ではなく、ジャーナルな視点で、波瀾万丈な中森明菜の半生を追っている。


 今、映画館では彼女の伝説的ライブといわれた89年のよみうりランドの記録映画が上映されている。この本は、そのライブから始まる。

 このライブの後、彼女は近藤真彦の自宅で自殺を図る。以降、彼女のキャリアは低迷していく。精神的にも追い込まれ、ほとんど活躍のできない日々が続いている。

 それは何故か?を追っている。結論からいえば、彼女の心の弱さ。歌手としては、天才的といっていいほどの才に恵まれているのに、人間関係でボロボロになる。 

 それは、簡単に人に依存してしまう弱さ。すぐに人を信じ、頼る。でも、頼り過ぎて、少しでも猜疑心が芽生えると「裏切られた」と感じる。

 実の家族とさえ、連絡も取れない状況。自ら離籍しているそうだ。まだ、存命の父親は「今は会うこともあきらめた」そうだ。

 歌姫という存在はいつの時代も孤独。かの美空ひばりだって、彼女に当たるスポットの輝きが強ければ強いほど、周囲に影ができる。家族の悲劇を乗り越えて、歌姫として生涯をまっとうした。

 山口百恵は美空ひばりにはなりたくなくて引退を選んだ。松田聖子は強い意志を持って、すべてを犠牲にしても、松田聖子をまっとうしようとしている。

 16歳でデビューした時には、しっかりした歌手としてのビジョンを持って自己主張した明菜。そこに、百恵にも聖子にもなかった表現者としてのこだわりがあった。それゆえに周囲とは軋轢が生まれる。

 彼女の悲劇は孤高に生きてしまったことにあると思う。男に依存して、おぼれてしまう。そうなるとまったく周囲が見れなくなってしまう。そんなか弱さが彼女の魅力の一部なのだろうけど、ひとりの人間としては悲しい。天才的な勘だけで生きて来た明菜が、本当の意味で大人になることが出来るか?そうなれば、晩年はもっと大きな歌手になれるはず。