「CITY ROAD」の日々12個性的な編集集団。 | con-satoのブログ

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 映画ライターとして成功した、みのわあつおさんや秋本鉄次さんは「CITYROAD」の編集部出身。みのわさんは映画担当の正編集者。秋本さんはアルバイト。

 みのわさんは編集者として映画星取り表を担当。羽仁未央さんが星取り表のライターの一人だった。未央の父親は映画監督の羽仁進さん。パパの方針で、小学校から学校に通わなかった未央さん。実は漢字が書けなかったそう。ひらがなばかりの原稿を、みのわさんが「未央ちゃん漢字ぐらい書こうよ」と諭したら、未央ちゃんに泣かれたそうだ。あとでパバに「未央を泣かせたお兄さん」とからかわれたそうだ。「あの時はまいったよ」と笑っていた、みのわさん。

 そのみのわさんも羽仁未央さんも、若くして鬼籍に入られて、今はこの世にいない。

 未央さんは、若いときはぽっちゃりした少女だった。しかし、大人の女性になった未央さんはステキなキャリアウーマンに変身していた。香港に滞在して、香港返還時は「ニュースステーション」のレポートをしていた。

 同時期に在籍した編集者の中でもユニークだったのは、のちに講談師になった吉田くん。神田一門に入り、神田陽司の名前で活躍した。「CITYROAD」では演劇を担当した吉田くん。講談師になるなんて思いもしなかった。でも、毎月の校終後の飲み会では「未来少年コナン」の全!セリフを暗記していると自慢していた。そのあたりが講談師になる片鱗だった気がする。ただし、ウィキには吉田くん「副編集長」という記述があるけど、その記憶はない。

 僕らにとっては、いつまでも「吉田くん」。彼には変人エピソードがたくさんある。風呂のないアパートに住んでいて、ファンシーケース(昭和の人には分かるビニールの衣装ケース)をシャワー室代わりしていたり、実家の尼崎に原チャリを取りに行って、尼崎から原チャリで東京まで来た、とかワンダーな話がたくさんあった。他の人には「バカな!」な話も本人はいたって真面目だった。そこが吉田くんの面白さ。