「CITY ROAD」の日々10女性編集長、誕生① | con-satoのブログ

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 20代後半になって憧れていた出版社に勤めることが出来た。しかし、媒体としては苦戦。ライバル誌には発行部数の差がひらくばかりだった。90年代に入り、雑誌として新展開を目指そうと編集長が交代した。

 それまでは歴代男性編集長だったが初めて女性が編集長になった。今は女性編集長なんて珍しくもないけど、当時は数少ない女性の起用だった。副編集長からの昇進だから順当な人事ではあった。しかし、この女性編集長がなかなか個性的だった。

 「こだわり」があるといわれていた「CITY ROAD」だったけど、彼女はその「こだわり」をさらにディープにした。1P程度のインタビューページが「ロング・インタビュー」になり10P近くのページを割くようになった。

 そのインタビューへの人選が、まさに「こだわり」を追求したものだった。映画監督北野武の回ではインタビュアーに作家、中上健次を起用。淀川長治にはひたすらベルトリッチを語らせた。当時は美術関係者ぐらいにしか知る人のいなかった草間彌生は担当編集者が(当時、彼女がメンタルで病院に入っていたため、病院に何度も通い)数ヶ月かけてインタビューをまとめた。

 思い出深いのは今年、アカデミー賞有力といわれているジェーン・カンピオンのインタビュー。カンヌのパルムドールを獲得した「ピアノ・レッスン」の前作「エンジェル・アット・マイ・テーブル」(ヴェネツィア国際映画賞審査員特別賞受賞作)の公開時、フランス映画社の招きで来日した。インタビュアーは気鋭の映画監督、柳町光男監督が務めた。気鋭の監督二人による映画論は相当白熱したそうだ。「そうだ」になってしまったのは、当時、インタビューを担当した編集者がテープの録音を確認するのを忘れ、結局、インタビューを再現することが出来ずにボツってしまったから。もちろん気難しい柳町監督は激昂。フランス映画社の社長、川喜田和子氏が「借りは大きいよ」と怒りながら笑ったそうだ。

 そんなこともあったけど、雑誌のリニューアルは評判になった。しかし、残念ながら部数の増加は僅か。業界内の評価は上がったけど、読者に届くには時間がかかった。

 柳町監督作品の中で一番好きな映画。