情報誌というジャンルが雑誌の中で一定の地位があった70年代から80年代、90年代前半。映画少年には「CITY ROAD」欠かすことのできない雑誌だった。
「CITYROAD」の前身は「コンサートガイド」。実はこの「コンサートガイド」の頃から、この雑誌を買っていた。(当時は意識していなかったけど)
中学生になった頃から、本格的に映画を観始めた。この「コンサート・ガイド」は、通常の書店ではなく、銀座の山野楽器などでワンコイン(100円)で売っていた。名前は「コンサートガイド」だったけど映画の紹介もあったので、銀座に出る度に山野に立ち寄り買っていた。
その「CITY ROAD」に20代後半に就職することになった。当時は小規模の出版社は巻末ページに求人が出ていた。
大学を卒業してアパレル会社に就職した。しかし、就職してすぐの検診で「結核」と判断された。それを理由に職を辞してしまった。当時は終身雇用が当たり前の時代。一度、離職すると一般の企業は再就職先にはならなかった。
病気も治り、いざ、再就職といっても希望の職などない20代中盤。何回か転職をした。そして、20代後半になって「CITY ROAD」の求人広告を巻末に見つけたのだ。憧れていた編集ではなく営業とのことだったけど、それでも、出版社で働けるなんて夢のようだった。
それなりの応募数はあったようだけど、採用は1名。何故か就職できた。このことを知り合いの編集プロダクションの社長に報告したら「思い続けていたら、夢は叶うね」と言われた。以来、出版という天職を得た。