先日放映されたNHK-BSの「アナザーストーリー」。取り上げられたのは、日本テレビの刑事ドラマの大ヒット作「太陽にほえろ」。
同時代で見ているけど、このドラマがショーケンの主演ドラマとして企画されたとは思わなかった。石原裕次郎という大スターが出ていたので、裕次郎ありきでスタートしたのもだと思っていた。
ショーケンが、2番手だから「殉職」という降板劇があったのだと。しかし、あの降板は主役のわがままの降板だったのだ。
その主役の降板という、前代未聞のわがままのおかげで、ドラマは新人を迎え、その新人がこのドラマでスターになってゆき、そして去っていくという、ドラマにとっては願ってもない新陳代謝のパターンができた。それもショーケンのわがままからだったというのが面白い。
あの伝説になったテーマ曲も、主役ショーケン主導のわがままの結果。ジャジーな曲がいいと言った石原裕次郎の意見は無視され、ショーケンが主張したロックになり、ショーケンの朋友、大野克己が器用されたそうだ。当初は局側もスポンサー(代理店)も大反対だったとか。1回目の犯人役が水谷豊だったというのも、見た記憶はあるのだけど、改めて、知って新鮮な思いがした。
「踊る大捜査線」を大ヒットさせた脚本家、君塚良一のデビュー作が「太陽」だったというのも面白かった。学生だった君塚は「太陽」のプロット募集に応募して採用。しかし、実際に使われた脚本は彼の書いたセリフは一言も使われず(クレジットはされた)ドラマの脚本に挫折感を持った彼は、萩本欽一の座付、構成作家になったのだという。長い間、デビュー作は「太陽」ということは隠していたのだとか。そして「踊る」の企画が持ち上がり、その時「太陽」を全否定した刑事ドラマを作れば「新しい」刑事ドラマになるのではないかと脚本を書いたというのも面白いエピソードだった。
それほど、今でも伝説の「太陽にほえろ」。石原裕次郎の晩年のというと「西部警察」のイメージ強い。「太陽」が終わって「西部」になったのだと、ずっと思っていたが、それは間違った記憶だった。「太陽」には裕次郎は亡くなる直前まで出演していた。裕次郎37歳から15年間。それにしても、あの時の裕次郎が37歳だったなんて。子供心には貫禄のあるおじさんにしか見えなかった。
ショーケン殉職の後に登場したのが松田優作のジーパン。松田優作も1年後に殉職して、大スターになった。ショーケンの自伝によれば、優作は自分の後追いのモノマネだったと書いているけど、優作は優作のスタイルを見つけ大スターになった。ふたりとも天国にいる今、ショーケンvs優作の永遠のライバル。今考えると贅沢なライバルだったなと思った。
