con-satoのブログ

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映画を中心にエンタメ、旅などを紹介しています。

 大正、昭和に自由主義者として生きた孤高の女性を描いた「金子文子・何が私をこうさせたか」。

 

 映画は韓国併合の独立運動のシーンからば始まる。韓国で育った主人公、金子文子は、この独立運動に共鳴している。

 

 舞台は変わって東京。彼女は皇太子の暗殺を計画した「国家反逆罪」で裁判を受ける。そこで「死刑」の判決を受けるが、彼女はその場で「万歳」をする。

 

 国家から殺されるなら本望だというのだ。彼女のそんな姿に世間の支持が盛り上がった。政府は、それは見逃せないと「天皇からの恩赦」で「無期懲役」に減刑。

 

 彼女は宇都宮の刑務所に収容。所長は「減刑」した陛下に感謝文を書けと強要するが、刑罰を受けても彼女は断固拒否する。

 

「金子文子・何が私をこうさせたか」★★★★★

 

 どんなに厳しい罰を受けても自分の信念を変えない女のしなやかな強さを菜葉菜が熱演。今年の主演女優賞の有力候補。

 

 大正時代に花開いた自由思想は関東大震災をさかいに国家から弾圧を受ける。この金子文子は、韓国で運動家・朴烈と知り合い、彼に共鳴する。アナーキズムから運動を始める。

 

 しかし、彼女は結局、無政府主義という形から個人主義に傾いていく。この考えに共鳴した。


 自分がフランスに心惹かれるのは、かの国が徹底した個人主義だからだと思う。こういう考えは自分に近いなと感じた。


 日本人は、ともすると全体主義に走りがち。今の世の中も、民主社会主義みたいだなと感じる。


 個が曖昧で、会社とか、学校とか、集団とか、そういうものに寄りがち。個人的にはそういうものに息苦しさを感じている。

 

 その意味で彼女の意思の強さには敬服する。でも、あれほどにストレートに生きれば、やはり生きづらい。それは昭和初期でなくても、今でも同じ。

 

 結局。彼女は23歳で獄中で自死。しかし、行動を共にしたと思っていた韓国人・朴には裏切られた。


 彼は政治的な転向をして1970年代まで生き延びたそうだ。それでも、自分の信念を貫いた彼女には後悔はないのではないか。

 

 

 

 オスカー受賞の名優ベン・キングズレーが主演している「カミング・ホーム」。キングズレーが演じているのはペンシルバニアの田舎町にすむ老人。


 ある日、彼の家の裏庭にUFOが襲来する。あまりの予想外の出来事に、彼は誰にも言えない。


 娘は父の不審な行動が認知症なのではないかと疑う。


「カミング・ホーム」★★★★★


 自宅の庭にUFOが飛び込んで来るなんて、突拍子もない話を上手く家族のドラマにまとめている。老人版「ET」。


 「老い」というテーマを軽いコメディに仕上げたのは監督の手腕と、キングズレーの間の良い演技。


 この映画をハートウォーミングな作品として宣伝した日本の配給会社の方針は正解。


▲アメリカ版のポスター。内容には忠実だけど、なかなか観る気にさせないデザイン。


 老いることへの恐怖。それがテーマ。これは誰にも避けられないこと。主人公は娘に心配されても自分では認められない。


 友人のばあさんに「その時が来るまで、人生楽しまなきゃ」と言われて納得する。それが物語に絡み、UFOの大冒険になる。


 90分に満たない小品のコメディ。でも、昔はこんな良心的なB級アメリカ映画があった。そんな時代を思わせる映画。


 



 ドリームワークスのアニメ「ギャビーのドールハウス」。もともとはテレビアニメらしく、映画は劇場版として製作されたみたいだ。

 

 このアニメのことなど知らなかった。予告編を見て、完全な子供向けアニメだと承知していたけど、観る気になったのは、ドリームワークスの作品だから。

 

 一時はFOXもワーナーアニメ製作に乗り出していたけど、最近はごぶさた。(それぞれ会社自体がなくなっている!)ドリームワークスも一時は「シュレック」などヒット作があったが、最近は新作を見かけることがなくなっていた。

 

 アニメ界の帝王カッツェンパークも75歳。もう現場では指揮などとっていないのだろうか?そんなことも気になって劇場へ。

 

「ギャビーのドールハウスTHE MOVIE」★★★★☆

 

 これが意外なほど良く出来ていた。もちろん、子供向けなんだけど、ちょっと楽しめた。

 

 楽しめた大きな理由は音楽。ポップな佳曲が揃っている。さらにおばあちゃん役で登場したのは、ラテン界の女王グロリア・エステファン。

 

 彼女のファンなので、こんな仕事していたのかと?驚き。(テレビ版にも出でいるのだろうか?)もったいなかったのは、グロリアの歌声が聞けなかったこと。映画の中で、バックに流れる音楽にもグロリアの曲がない。

 

 お話は他愛ないけど、子供向けといっても手抜きはない。日本では認知度が低いようでシネコンはガラガラ。アメリカでは3000万ドルと随分抑えた製作費で作られて、およそ、その3倍のヒット。


 ドリームワークスは苦労しながら、アニメ制作を続けているのだ。

 韓国映画「ギョンアの娘」の主人公は中年の女性。彼女は女手で一人娘を育てて来た。自慢の娘は教師として独立。仁川にすむ母親の元を離れソウルのアパートで暮らしている。

 

 大人になっても娘が心配な母親。娘はいい加減子離れして欲しいと思っていながらも、良い娘を演じ続けている。そんな関係がある事件で崩れる。

 

 娘の付き合っていた男が、別れの腹いせに付き合っていたころの動画をネットに流したのだ。ふたりのセックスのようすまで、顔出しでネットで流通。

 

 彼女は仕事も辞めざるを得なくなる。母親は、そんな娘を心配しつつ、娘を責める。母娘の関係は完全に崩壊する。



「ギョンアの娘」★★★★☆


 ネットに寄るリベンジ・ポルノの被害をリアルに描いている。


 彼女は追い込まれ、母は悩む。でも、簡単には理解し合えないもどかしさも丁寧に描かれていた。


 ストーカーになった元彼との家族との関係も、アジアらしい。特に元彼の母親。最初は情にすがり、泣き落としを図ろうとする。しかし、それがムリと思うと、息子可愛いと逆ギレ。


 それにネット民の反応。典型的ではあるけど、あんな反応?ネットとの距離があるので、あんなものなのか?と驚く。ネット民の怖さ。被害者になりたくはない。

 ある時から、通勤の時間は読書に充てるようになった。これは、意識的。そういう意識をしないと、ついスマホを手にとってしまう。

 

 乗り換え情報など必要な時は使うけど、なるべく鞄に収めて、電車の中では読書。


 家に帰ってベッドの中でも、読書をしたいと思っているけど、こちらは寝付きが異常なほどいいので、ほとんどページが進まない。

 

 そんな電車時間で読む作家。結構、絞られている。池井戸潤、宮本輝、林真理子、原田マハ、横山秀夫。それに海外のミステリー作家。こちらはクリスティからジェフリー・ディーバーまで幅が広い。



 

 その逆に好きな作家なのだけど、あまり通勤時間に読まないのは高村薫、桐野夏生。二人とも大好きな作家なのだけど、読むに覚悟がいる。内容がハードなことが多いので、集中していると乗り過ごしてしまいそう。つまり、軽くは読めない作家なのだ。

 

 それでも、この時間に読書と決めてしまうと本を読むことが楽しい。(携帯前はそれが当たり前だったけど)基本的には同じ作家の本は連続して読まない。小説を読んだあとは、エッセイを挟むようにしている。

 

 月に4冊程度。けっして多くはないけど、これで通勤時間は充実している。あっという間に駅に着く!

 ユーロスペースで上映しているドキュメンタリー映画「JOHATSU」。海外の映画祭で評判だったという宣伝を目にして劇場へ。休日のユーロは満席の盛況ぶり。

 

 映画の冒頭「日本では毎年7万人が失踪・蒸発する」と出る。


 映画は、付き合っている女から逃げる男のシーンで始まる。彼を助けるのは、いわゆる「夜逃げ屋」を稼業とする女性。



「JOHATSU・蒸発」★☆☆☆☆

 

 この映画、「蒸発」というより「夜逃げ屋」とタイトルとつけた方が正解。映画に登場するのは、この女性の会社が捜索を手伝う人たち。それと西成で生きる男性。

 

 海外の人から見たら、裕福で規律正しい日本にも、こんな世界があるのかと驚きなのだろう。


 しかし、ネタに新鮮味はない。ドキュメンタリー映画として気になったのは、妙に扇情的な旋律の音楽。ああいうの不要。まるでホラーのノリなのだ。

 

 もっと真摯な姿勢で、追い詰められて、行き場を失った人たちを描いた映画だと思っていた。


 西成の男性も37年ぶりに故郷に帰りました!で終わり。彼が不在に間に起こったであろうドラマは描かれない。

 

 愛知から失踪した男性も、両親の離婚で幼い時に離れ離れになった父親の元にいったのではないか?という中途半端な展開で終わる。

 

 失踪するとか、蒸発するということには、もっと切羽詰まったものがあるのではないか。ドキュメンタリーなのに、その人間たちには迫っていない。


 この程度のドキュメンタリーならテレビで十分。それより、もっといいドキュメンタリーをテレビでは深夜や早朝に放映している。

 

 

 三月の歌舞伎座公演。昼の部は「加賀見山再岩藤」の通し狂言。上演時間3時間を超える大作。江戸時代の大名家のお家騒動に幽霊話といかにも歌舞伎らしい題材の演目。



 

 尾上松緑は「岩藤の霊」と「鳥井又助」の2役。三幕目には桜の園の上を舞う宙乗りのシーンがあるなど見せ場もある。


 しかし、現代の目線から見ると、わかりやすい物語ではない。

 

 元々、加賀藩をモデルにした「多賀家」のお家騒動の物語「鏡山旧錦絵」のパート2的な意味合いもあり。パート1を理解しないと人物関係などわかりにくい。


 全4幕。それぞれが独立しているような展開で、話の全体は、大円団のあとにならないと、なかなか見えてはこない。

 

 さて、肝心の松緑。四幕の又助は良かった。この人の柄にあっているような役柄。義理を通す男というのが、今の彼にははまっている。

 

 松緑は51歳。父親、辰之助を若くして亡くし、その意味では父という絶対的な後ろ盾のない歌舞伎役者人生。父は40歳で「松緑」を襲名することなく亡くなっている。


 今、その父の年齢をこえて、歌舞伎の舞台に立っている四代目。これからも期待して舞台を拝見したい。

 

 それにしても歌舞伎座、外人観光客が多くなった。主に白人系。不思議とアジア系はいない。


 白人さんが日本文化に深い興味を持ってくれるのは、ありがたい。でも、一つ困るのは、彼らの背の高さ。大きな白人さんが前に座ると舞台が見えない!



 

 特に1階席は基本的に席の作りが平坦。前に190cm以上あるような外人が座ったら見えるのは、彼の背中だけ、なんてことも。

 今年のアカデミー賞でティモシー・シャラメが主演男優賞候補になった「マーティ・シュプリーム/世界をつかめ」。彼が演じたマーティはNYに住む若い男。アメリカでは競技としては人気がない卓球の選手。もちろん、それだけでは食べていけないので、叔父の経営する靴屋で働いている。

 

 卓球だけでなく口も達者なマーティは靴販売でも好成績。叔父は彼の才能を評価、店長にしようとする。しかし、マーティの目標があくまでも、卓球のチャンピオン。さて、マーティは競技の覇者になれるのか?

 

「マーティ・シュプリーム/世界をつかめ」★★★★★

 

 149分の上映時間、ティモシーは出ずっぱり。まさに主演男優。映画を観る前に、この映画でティモシーがアカデミー賞を獲るべきと、このブログで書いた(観る前なのにね)けど、それを観て確信した。

 

 結果は落選。マイケル・B・ジョーダンに負けた。これは、賞の直前の彼の失言。30歳の若きスターへの嫉妬。さまざまな要素が反映された結果。


 でも、これがポッと出の新人俳優ならば、まだしも、これで3回目のノミネート。(しかも2年連続)それで、この演技。ハリウッド人種の妬みは怖い。

 

 この映画の彼は映画史に残るキャラクター。やはりトム・クルーズがアカデミー賞で落選した「ザ・エージェント」(この邦題が大嫌い。「ザ」はおかしい。そのままキャラクターのネームにオリジナルタイトル「ジェリー・マグワイヤ」で良かった)のキャラクターに通じる役。

 

 実話がベースになってはいけるど、かなり脚色しているのだろう。その話の展開も面白い。


 この主人公の人を喰ったキャラが断然いい。いやな奴なのに、なぜか魅力的。それは若き演技派シャラメが演じているから。だから主演男優賞であるべきなのだ。

 

 

 戦後間もない東京のシーンもいい。GIがいて、戦後の顔をした日本人。 


 実際にモデルがいたという日本人選手。それを演じた俳優さんは素人さんなのだそう。それが自然だったのは演出がいいから。

 

 グウィネス・パルトロウ演じるスター女優の悲哀のサブストーリーも良く出来ている。エンタ作品としては完璧。


 スパッと終わるラストも素晴らしい。

 フランスのリュック・ベッソン。1988年の「グランブルー」でカルト的な人気を集め、その後「ニキータ」「レオン」などを発表。フランス本国はもちろん、日本でも映画ファンを熱狂させた監督。

 

 そのベッソンの99年の映画「ジャンヌ・ダルク」のサントラ盤をディスクユニオンで購入した。映画は公開時、パリ、レアールのシネコンで友人たちと観た。劇場は満員。ベッソンの人気の高さを示していた。



 

 映画の出来については、友人たちの意見がわかれた。自分は否定派。前作の「レオン」からアメリカ映画志向に舵を切ったベッソン。それでも「レオン」は「ニキータ」(もっといえば「サブウェイ」)につながるベッソンらしさがあった。それに「レオン」はNYが舞台になるのでセリフが英語になるのは当然。

 

 「ジャンヌ・ダルク」で一番戸惑ったのは、当時、彼の妻だったミラ・ジョボビッチのヒロインの演技ではなく、フランスの話を英語で製作したこと。これ日本の戦国ものを日本人の監督が英語で製作するようなもの。

 

 「SHOGUN」ではないのだ。織田信長が、豊臣秀吉が、徳川家康が英語で会話する日本映画。こんな陳腐な設定はないだろう。この映画はそういう映画。

 

 しかし、この時まではベッソンはカリスマだった。なので、英語劇にしたベッソンを擁護したフランスの友人たちも多かった。

 

 サントラはもちろんエリック・セラ。今まで買ったことがなかったのは、セラの音楽は好きだけど、この映画が駄作だと思っていたから。聴いてみて、やはり、セラらしくはない。素材が素材だけに繊細なメロディではなく勇壮な音楽が目立つ。

 

 これ以降、ベッソンは普通のB級監督に格が下がる。「グレートブルー」(日本で初公開された時のタイトル)で来日した時は「続編なんて絶対に撮らない」「ハリウッド映画みたに金儲けには走らない」って豪語していたのに、21世紀になったらB級C級アクション映画ばかり。続編もたくさん作るようになった)

 ピクサー映画30作目の長編アニメ「私がビーバーになる時」。主人公の女の子は日系。ピクサーの作品で日系のキャラクターが主人公になったのは初めてだそう。

 

 その女の子、小さい時から変わり者。ファーストシーンはエレメンタリースクール時代。教室で飼われている動物たちを盗んで自然に還らせようとする。しかし、教師たちにバレて厳罰に。

 

 そして時が流れて彼女は大学生になっている。そこでも彼女の関心は自然の中で生きること。彼女の住むエリアが高速道路建設で自然の森が破壊されることになる。なんとか、それを阻止しようと彼女の奮闘が始まる。それは何と彼女がビーバーに変身して、動物たちと共闘を組むことだった。



「私がビーバーになる時」★★★★★

 

 初期の頃は「TOY STORY 」「モンスターズ・インク」「ファインディング・ニモ」など傑作ぞろいだっらピクサースタジオ作品。このところ、作品にムラがあるけど、これは大成功。

 

 自然破壊の反対運動をテーマにしているけど、変に偏っているのではなく、さすが、ディスニーアニメのDNAの入った、子供にもわかりやすい物語に仕上げげている。

 

 監督は「アバター」を参考にしていると公言しているそう。確かに骨格は「アバター」。女の子がビーバーになって、動物たちに世界に入っていく。そして、戦う。それでもビーバーを含めキャラの設定がしっかりしているのと、可愛いので、幼少の子供でも、すんなり、この世界へ入っていけるだそう。

 

 教科書くさくならずに、教育的なテーマをエンタに仕上げる。これこそディスニーだし、アメリカのエンタの王道。