con-satoのブログ

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映画を中心にエンタメ、旅などを紹介しています。

 ホラー映画、SF映画のレジェンド、ジョン・カーペンター。デビュー作「ダークスター」が公開中。格別なファンではないけど、彼が主に活躍した70年代、80年代、カーペンターは特別な存在感があった。

 

 彼のファンにとっては、この74年の作品は、彼の出発点としては記念碑的な意味合いなのだろう。残念ながら、ファンではないので、この作品の存在を知らなかった。でも70年代からのアメリカ映画ファンとして、敬意を持って映画館へ行った。

 

「ダークスター」★★★★☆

 

 映画自体はチープ。でも、若い作家の初々しいさが今も新鮮。

 

 カーペンターが手掛けた作品のジャンルは得意ではなかったので、冒頭のクレジットでダン・オバノンが出てきてビックリ。

 

 「エイリアン」「トータル・リコール」などで脚本家として活躍しただけでなく「バタリアン」なども監督した、このジャンルのレジェンド。お互いに成功してからの絡みは少なかったので、二人の名前が結びつかなかった。

 

 話は宇宙船の中だけ。安上がりに上手く作っている。さすがカーペンター。オバノンは俳優としても登場して大活躍。オトボケな味もなかなかに妙味。

 

 カーペンターって、売れっ子監督になっても、キッチュな趣味の人だった。大家にならない、なれない。その持ち味は、やはり、デビュー作から変わらない。その姿勢はご立派。80年代までは、こんな作家の存在が許されたし、愛された。このチープだけど、キッチュで可愛い作品に出会い、そんな想いを思い出した。

 

 横山秀夫が作家デビューを飾った「ルパンの消息」を読んだ。



 舞台は90年代の巣鴨。このエリアに通うヤンチャな高校生3人が主な登場人物。タイトルは、彼らが通う喫茶店「ルパン」に由来している。


 物語は15年後から始まる。15年前に彼らの高校であった教師の自殺。これが殺人だったというタレコミがある。

 

 もし、殺人ならば、時効は翌日。担当する刑事たちには1日しか余裕がない。


 当時は自殺と認定された案件。本当に殺人なのか。そのことも確定しないまま、刑事たちは、残された一日で事件と対面する。


 当時の高校生3人組は容疑者として警察に連行される。彼らの取り調べの話で、物語が15年前に戻り進行する。

 

 第1作に作家のエッセンスのすべてがあるといわれるけど、まさに、そんな横山秀夫らしさ満載。


 第1作でこんなに濃厚に人間が書き込まれている。悪ガキ高校生。彼らに接する教師たち。主な舞台を提供する喫茶店。そのマスター。取り調べ側の刑事たち。


 決して登場人物は多くないが、それぞれが15年前に交差する。


 特に「ルパン」のマスター。実は3億円事件の犯人ではないか?と疑われた人物。高校生たちも、モンタージュ写真にそっくりだとして、マスターを「サンオクさん」と呼んでいる。


 サスペンスだけでなく、泣かせるポイントも多い。3人組のひとりが15年後にホームレスになって上野にいた。


 上野駅、15年前の写真を頼りに探す刑事。しかし、ホームレスたちは誰も同じに見えて途方にくれる。

 

 そんな駅で、ひとりのホームレスが刑事に方へやって来る。襲われるのではないかと身構えると、そのホームレスは「オレも刑事だった」と伝え、探しているホームレスの居場所を教えてくれる。


 その若い刑事は、外見で判断したことを反省する。このパートの描写、設定が見事。人間の悲哀をまるで映画のシーンのように表現。


 横山秀夫はあとがきで、この作品が世に出たことで、新聞社を退社する決心がつき、作家になったと書いている。




 福士蒼汰と福原遥が主演した「楓」。スピッツの楽曲をベースにしたラブストーリー。

 

 ニュージーランドを旅行したカップルが事故に遭うことで始まる物語。彼女は目に障害を残すが命は取り止める。しかし、彼は亡くなってしまう。

 

 その後、彼女の前に現れたのは、彼。実は双子の兄弟が、亡くなった彼になりすましていた。

 

「楓」★★★★☆

 

 双子という設定を活かした物語。福士蒼汰はそれをうまく演じている。いつもながらの嫌味のない演技。福原遥も嫌味のなさがいい。

 

 福士蒼汰演じる男は、死んだ双子の兄弟の代わりを演じ続けている。いつ、そのことが、福原遥演じる女の子にバレるのか?というドラマ。

 

 ありえない設定を行定勲が手堅く演出しているので、妙に物語にリアリティをもたらしている。

 

 ちょいひねりの効いた物語展開も良かった。意外なほど、人間の本質に迫ったストーリー。それを福原遥という女優が演じる妙味。

 

 星と写真というモチーフ、小道具の使い方が上手い。これがロマンチック度を上げる。行定監督の代表作の「世チュー」の令和版。

 

 

 

 歌謡曲と旅の思い出。1993年の春にパリに1ヶ月ほど滞在した。勤めていた会社が倒産、すぐに買取る会社が出て来て、そちらへ移った。


 でも、買収した会社にとって、前からいる社員には、それまでのノウハウを教えるだけのことを期待していたようだ。結局、組合騒動まで発展して会社を辞めた。それが93年の春。

 

 急に時間が出来た。学生時代なら何でもないことだけど、社会人になって長期の休暇など期待できない。

 

 どうしようかと考えて、パリに行くことにした。NYもと思ったけど調べたらホテルが高い。パリなら個人経営のホテルがたくさんあり、長期滞在(といっても1ヶ月程度)にはピッタリだと思ったのだ。



 

 結局、左岸のホテルに落ちついた。パリ大学が点在するエリア。大型書店に、カフェ、手頃なレストラン、映画館などが徒歩圏内。


 毎日映画三昧の日々。時おり公園でのんびり。そんな時間を過ごした。



 

 そんな時、重宝したのがサンミッシェル駅近くにあった中華屋さん。ランチはABCと3種類。毎日のように通った。


 この中華屋がおかしかったのは、流れる音楽が日本の歌謡曲(しかも、演歌)だったこと。

 

 パリにいるのに流れてくるのはクールファイブの「長崎は今日も雨だった」千昌夫の「北国の春」。


 一体自分はどこにいるのか、瞬間わからなくなる。今でもテレビなどで千昌夫が出て、この曲歌うと、あのパリに裏町にあった中華屋を思い出す。(今はまったく別の店になっているのは、残念)


▲一時はアジア周辺で良く流れていた「国際的」歌謡曲。

 ジェームス・キャメロンの「アバター」シリーズ最新作「ファイヤー&アッシュ」。前作、2作目では見事な水の世界を見せてくれたシリーズ。3作目の今作は「炎」がテーマ。

 

 今回はパンドラの民族闘争が素材。(それに地球人とも)現在、地球で起こっているような紛争がパンドラで行われる。



「アバター/ファイヤー&アッシュ」★★☆☆☆

 

 歴代ヒットの上位を独占しているキャメロンの底力は今回も感じる。でも、3時間18分という上映時間、ちょっと長い。この長さになる必然性は感じなかった。(45分ぐらいは短くできる?)


 確かに3Dの映像はお見事。ただし、物語は陳腐とまではいえないけど、深みはない。それが、長いと感じる理由。


 肝心の映像体験も、3作ともなると驚きがない。1作はやはり21世紀の3D映画のスタンダードになった映画。革新的だった。


 「タイタニック」でCGを物語に活かすことに極めたキャメロン。「アバター」では、最高のクオリティの3D映画を見せてくれた。


 2作目は水の表現が見事で、さらに進化した映像を堪能させてもらった。


 でも3作目には、そんな驚きはなくデジャヴなのだ。IMAX3D料金、3時間20分、付き合うのはしんどかった。


 料金はともかく、3時間以上を費やすような物語性はない。結局、家族は大事という、チマっとした話で終わる。


 一番大きな問題は、登場人物たちに思い入れできないこと。それに地球人として登場する俳優の魅力的でないこと。


 出来のいい映画なら、女性将軍など、もう少し魅力的であるはず。キャメロンはCGなどの映像表現にだけ興味が偏って、人間には、興味がなくなったみたい。


 だから、ドラマとして盛り上がらない。


 「アバター」は5部作といわれているが、この3作目でお腹いっぱい。期待が大きかっただけに、この結果は予想外。


 余程のことがなければ、4作以降はパスかな?期待に反したガッカリ度は今年一番だったかも。観終わって、内容のスカスカぶりに唖然とした。



 音楽って、その時の風景や情景に結びついてくる。


 チュニジアに行った時、サハラ砂漠ツアーに参加した。サハラといっても奥部まで入り込むわけではなくて、サハラの端で楽しむだけ。

 

 それでも一面の砂漠の中、小一時間ほどラクダにのって周回。その後は砂漠の真ん中にあるレストランまで四駆のジープで飛ばした。端っこだけど、一応はサハラ砂漠を経験した。

 

 サハラ砂漠についた時、恥ずかしいけど、頭に流れ出したのが中森明菜の「SAND BEIGE・砂漠へ」だった。「サハラの夕日をあなたに見せたい」。夕日じゃなかったけど、まあベタな展開。



 

 ああ、恥ずかしと思っても、頭の中に流れるのは明菜だった。格別、明菜ファンでもないので、ここで明菜かと、そんな自分の反応にびっくり。

 

 北アフリカの中では一番好きなチュニジア。海はきれいだし、マーケットも清潔。品物を買うと時も、アラブの国にありがちな、面倒な値段交渉はなく、基本フィックスプライス。(モロッコではスリッパ1足買うのに30分はかかる)

 

 それにしても、サハラを目の前にした瞬間に明菜の歌が流れたのには、我ながら呆れた。いい曲だけど。



▲チュニジアのおじさん。たいていのおじさんの平均的な姿。なんか、かわいい。

 コロナの時代を背景に、ニューメキシコの保守的な町で起こった騒動が描かれる「エディントンへようこそ」。


 ペドロ・パスカル演じる市長とホアキン・フェニックス演じる保安官は犬猿の中。コロナへの対応をめぐって対立。


 保安官が市長を倒すべきと市長選に立候補する。まさに血と血で争う市長選が描かれる。



「エディントンへようこそ」★★★★☆

 

 今になって、あのコロナの規制は間違いだったのではないかと考えるアメリカの保守層。彼らにとっては自由が奪われたと感じるのだ。(その自由とは銃を持つ自由と同じ意味の自由。)


 あの特殊なハンデミックの中でも、彼らの考えは変わらない。

 

 そんな保守的な考えを監督アリ・アスターは茶化しまくる。それを体現するのが保守の権化のようなフェニックス。彼がどんどんエスカレートしていく姿に、恐ろしさ半分、あまりにも愚かしくて笑ってしまうのが半分。

 

 いわゆるブラックジョーク映画。なので万人が楽しいと思えるかは別。すごいパンチのある作品。なので反発も多く、ネットでは賛否がハッキリと分かれている。それはそれで当然。



 

 それにしても、ホアキンの妻役にはエマ・ストーン。売れっ子のパスカルに、オースティン・バトラーまで登場する豪華キャスト。


 彼らの熱演もあって2時間半の上映時間は、さほど長くは感じなった。傑作と呼ぶには何かが足りないけど、凡作とはいえない。

 70年代から80年代にかけて日本のミュージックシーンをリードした沢田研二。

 

 その沢田研二のソロ13曲目としてリリースされたのが1975年の「巴里にひとり」。

 

 タイトル通り、バリに来た男がセーヌ川ぞいを歩き恋人をしのぶラブバラード。

 

 まだ、中学生だった自分にとって、パリといえば、この曲。それから、およそ10年後にパリに行ったことをきっかけに、パリ通いが始まるが、セーヌを歩くと、頭の中にこの曲が流れる。

 

 

 当時、この曲がフランスでもリリースされて大ヒットしたという情報があったけど、国内向けの宣伝だと思っていた。

 

 今回調べてみてビックリ。なんとフランスのチャートで最高順位4位。オリコン最高5位だから、フランスチャートの方が上。やっぱりフランスで大成功は嘘ではなかったのだ。

 

 でも、沢田研二自身はフランス語は苦手らしいので、以降、フランスで活躍することはなかったよう。それでも、この曲がフランスだけで20万枚のヒットだったので、アルバムも制作されてい

る。



 

 個人的な勘違い。この日本語の歌詞、ずっと安井かずみだと思っていた。調べたら山上路夫だった。



 パリにいると頭の中でジュリーが歌う。「パリ、ラ・セーヌ」と。

 買収問題で話題のワーナー映画。そのワーナーの日本での最終配給洋画「WEAPONS/ウェポンズ」が公開中。これが怖いと評判になって地味にヒットしている。

 

 そんな興味で新宿ピカデリーへ。日曜日だったせいか、満席。高校生の団体からシニアまで幅広い客層。

 

 舞台になるのはアメリカの地方の町。あるクラスの生徒がほぼ全員失踪してしまう。失踪しなかったのは男の子ひとりだけ。


 保護者たちは先生が何かを知っているのではないか!と詰め寄る。しかし、彼女もなんで自分のクラスの生徒がいなくなってしまったのかがわからない。



「WEAPONS」★★★★☆

 

 クレジット上ではジョシュ・ブローニンがトップだけど、実際は助演。(製作を兼任)主役は先生を演じたジュリア・ガーナー。この女教師のキャラはなかなかに強烈。やや酒乱気味で、男関係では地元の警察官と不倫中。

 

 物語はキャタクターごとのオムニバス形式で語られる。それぞれの視点から見た事件のありよう。これがドキュメンタリーなタッチでリアルな怖さを演出している。

 

 アメリカの迷信深い田舎町なら起こりそうだと思わせるのが、この映画のうまさ。


 監督はコメディアン、俳優、脚本家などでも活躍しているザック・クレッガー。多彩な人なのだ。この映画でも、監督、製作、脚本、音楽まで担当している。

 

 伝統あるワーナー映画が提供する最後の洋画。(来年からは東宝東和が配給)本国でも買収騒動が持ち上がり、アメリカの映画界を支えてきた名門映画会社の未来は不透明。

 

 最後のWB映画なのに、ニューライン作品なのでワーナーマークが出てこない!映画の本質には関係ないけど「時の過ぎゆくまま」が流れないのは「最後」の作品としては肩透かしだ!との思ってしまうのが往年のファン。

 

 

 

 

 1970&80年代は歌謡曲全盛期。毎日のように歌番組が放映されて、高視聴率。年末にはレコ大、紅白がリレー中継され、歌謡曲は国民的娯楽だった。

 

 そんな歌謡曲、扱うのは恋愛が主なテーマだけど旅も大切なワード。

 

 演歌なら津軽とか、函館とか、大島など国内が取り上げられるが、ポップスになると外国が多くなる。

 

 80年代以降、旅をテーマ(主に海外)に歌ったのは松田聖子。日本がバブルに向かう繁栄の時代。海外へ行くことは特別ではなくなった。

 

 「チーム松田聖子」のリーダー、松本隆はその空気を読み取り、聖子に外国を舞台にした歌詞を数多く提供した。

 

 そんな中、個人的に一番好きなのが1983年にリリースされたアルバム「ユートピア」に収録された「セイシェルの夕日」。

 

 

 作詞は松本隆。そして作曲は「チーム松田聖子」で主にサウンドを担当した大村雅朗。もちろん編曲も彼。

 

 80年代、円高も伴って日本は空前の外国旅行ブーム。ハワイなどにはたくさんの日本人が気軽に行くようになった。

 

 でも、策士、松本隆はそんな場所を選ばない。松本隆が選ぶのは、あまり手が届かない場所。マイアミ、マラケッシュなどなど。

 

 この曲で選んだのは、セイシェル。今でもセイシェルの場所を正確に言い当てる人なんて、少数派だろう。

 

 東アフリカ沖にあるインド洋の島国、セイシェル。

 

 そこにひとり旅をした女の子をモデルに歌われる。ひとり海岸に佇み、遠く離れた恋人を想う。

 

 そんなロマンチックな雰囲気をさらに盛り上げるのが、大村雅朗のメロディとアレンジ。本当に美しい。

 

 

 

 実は、今年の大阪万博、セイシェルのナショナルデイにお招きいただいた。

 

 セイシェルといえば、聖子ちゃん!だと思っていたけど、日本的には、アフリカの海賊対策の最重要国、大使館もあるそうだ。