もう5年くらい前になるのでしょうか?
ご縁あって、「南青山短歌会」という東京で行なわれている短歌会にメール会員という形で参加することになりました。

毎月2つのお題+翌年の歌会始のお題に沿って歌を詠んで提出するのですが、これまではとにかく会の日の締め切りの数分前にバタバタッと詠み、送信する。
とにかく1月に1度、「歌」を意識することに意義がある。
そんな感じでした。

それが、恐らく「歌」を選んだのは、そんなことを通じて何となく自分に馴染みがあったからでしょうけど、突発的に4月の末に、「最低一日一首歌を詠んでみよう」と思い、Twitterに投稿することにしました。それがどうにか続いています。

Twitterの私のタイムラインをご覧いただくとここ2ヵ月歌しか投稿していないので、トゥゲッター?などにまとめる必要もないくらいなのですが、もしタイムラインをご覧いただくと一発で判るのですが、私の歌は、歌と呼べるかどうかわからない、ただ思ったこと、感じたことを5・7・5・7・7に納めただけのようなものですが、

割と早い時期に詠んだ

人は何故 歌に上達求めたり 批評するのか われは解らぬ
のような思いで、また、

物事にはどれにも良しと悪し在れば
拙き歌に良しも宿ろう

という思いで詠んでいます。


そして、2ヵ月続けて思うことは、

五日間 同じことして 見えたのは 一日として 同じ日はなし
そして

歌を詠み始めてみれば一瞬の
ひとつひとつが輝きを増し

ということです。



それがいいのか悪いのかは判りませんが、
私は歌を「一分間で絵を描く(※いずれ説明します。)」ように詠みます。
つまり、時間がかかりません。
でも、読み返すと、他の人にはどうだかわかりませんが、自分にとってはその時の思いが鮮やかによみがえります。その一瞬を愛おしむことができます。

iPhoneはさしづめ短冊筆絵筆 今の気持ちを好きに切り取れ
と詠みましたが、今は結構な時代で、まさにiPhone等があれば、すぐに書き留められます。時には写真とともに残すこともできます。
実は、毎日歌の源泉となる御陵への散歩の際は、iPhoneですら重たく感じられるので、タオル以外完全に手ぶらで行くので、帰ってから一気に打つ感じなのですが・・。


私は、「こんな下手くそでも大丈夫」ということを示す為に敢えてTwitterでつぶやいていますが、人に向けて発表するのでなければ、ほんとうに誰に気兼ねすることもなく、詠むことができます。
歌を詠むのに時間もお金もかかりません。
誰にでもすぐ始められます。
一瞬一瞬を大切に生きていれば、ボケることもないんじゃないか?と、思ったりもします。

日本人は、こんなに素晴らしい「遊び」を持っていたんです。
もちろん、俳句でも川柳でも構いません。


歌を詠むことは
それぞれの人生を大切にすること なんじゃないかなあ~と、そんな風に思います。
ぜひ、続けてみて、実感してみてください。