とりあえず、思いついたことを書いて、「テーマ」という箱の中に放り込んでおいて、順序だとか、訂正等は、後からしようと、「下手の考え休むににたり」「Just do it!」的に書き始めたので、「ご自愛ください」というテーマで最初に投稿したのが「短歌のすすめ」になってしまいましたが、ここで、何故「ご自愛ください」がテーマかということを書いてみます。
「ご自愛ください」という言葉は、よく、「時節柄くれぐれもご自愛ください」のような形で手紙の最後等に、よく決まり文句のように使われる言葉です。
でも、何となく、おそらくあまりほんとうに気持ちがこもった形で使われることが少ないからか、正直言って、その意味がピンと来ることはあまりありませんでした。
私の祖父はよく自分の経験から生まれた言葉として、人に頼まれると「最もよく人を幸せにする人が、最もよく幸せになる」と、色紙に書いていましたが、私は常々、「仮にそうだとしても、その前提として、まず、“自分が”幸せでないとアカンのちゃう?」と、思っていました。また、自分が幸せになる「ために」人を幸せにする・・のだとしたら、無償な感じがなくてビミョーとも・・。
なので、私のモットーは、かねてから、「私がハッピー、みんなもハッピー、みんながハッピー、私もハッピー」で、まず、「自分が機嫌良くいることが大事」で、その結果、周りもハッピーになる、そして、みんながハッピーでいれば、おのずと自分もハッピーになる・・。とにかく、一人一人がハッピーだと思えれば、全体にハッピーになることを、そして、それは可能だということを、本気で信じています。
そして、ある時、ハッと。
「ご自愛ください」というのはそういう意味なのでないか?
と、気が付きました。
通常そういう意味で使われているのかどうかは判りません。
でも、自分で自分を愛する、いたわることができなければ、他人なんて絶対愛せない、そんな余裕はない、と、思ったのです。
これまでの自分の人生を振り返っても、例えば世間から「子どもがいるのに・・・」と、非難されそうな行動をとっていた時期があったとして、それは、「まず自分を落ち着かせるのが第一」だと思っていたからでした。
自分・・を満たすことなしに、「人」「人」・・・としていると、やがて自分が空っぽになることでしょう。
そして、いつか、好むと好まざるとに関わらず、「人」に対して見返りを求めてしまうことでしょう。
まず自分を幸せに、そして、満たされて尚、有り余れば自ずとそれが人に流れる、そういうことだと思います。
「世間の常識」で、「自分は二の次三の次」にすることが当たり前とされる中、「自愛」はいけないことのように刷り込まれているように思います。
自分を愛し、満たすことにより、他の人も自分を大切にするように願う、そんな循環の社会になり、「常識」が塗り替えられるように願って止みません。
「ご自愛ください」という言葉は、よく、「時節柄くれぐれもご自愛ください」のような形で手紙の最後等に、よく決まり文句のように使われる言葉です。
でも、何となく、おそらくあまりほんとうに気持ちがこもった形で使われることが少ないからか、正直言って、その意味がピンと来ることはあまりありませんでした。
私の祖父はよく自分の経験から生まれた言葉として、人に頼まれると「最もよく人を幸せにする人が、最もよく幸せになる」と、色紙に書いていましたが、私は常々、「仮にそうだとしても、その前提として、まず、“自分が”幸せでないとアカンのちゃう?」と、思っていました。また、自分が幸せになる「ために」人を幸せにする・・のだとしたら、無償な感じがなくてビミョーとも・・。
なので、私のモットーは、かねてから、「私がハッピー、みんなもハッピー、みんながハッピー、私もハッピー」で、まず、「自分が機嫌良くいることが大事」で、その結果、周りもハッピーになる、そして、みんながハッピーでいれば、おのずと自分もハッピーになる・・。とにかく、一人一人がハッピーだと思えれば、全体にハッピーになることを、そして、それは可能だということを、本気で信じています。
そして、ある時、ハッと。
「ご自愛ください」というのはそういう意味なのでないか?
と、気が付きました。
通常そういう意味で使われているのかどうかは判りません。
でも、自分で自分を愛する、いたわることができなければ、他人なんて絶対愛せない、そんな余裕はない、と、思ったのです。
これまでの自分の人生を振り返っても、例えば世間から「子どもがいるのに・・・」と、非難されそうな行動をとっていた時期があったとして、それは、「まず自分を落ち着かせるのが第一」だと思っていたからでした。
自分・・を満たすことなしに、「人」「人」・・・としていると、やがて自分が空っぽになることでしょう。
そして、いつか、好むと好まざるとに関わらず、「人」に対して見返りを求めてしまうことでしょう。
まず自分を幸せに、そして、満たされて尚、有り余れば自ずとそれが人に流れる、そういうことだと思います。
「世間の常識」で、「自分は二の次三の次」にすることが当たり前とされる中、「自愛」はいけないことのように刷り込まれているように思います。
自分を愛し、満たすことにより、他の人も自分を大切にするように願う、そんな循環の社会になり、「常識」が塗り替えられるように願って止みません。