というと、バブル世代の私達は、「ワンレン、ボディコン」という当時のファッションを思い出すし、これはまさに和製英語だけれど、常々、そして、このところ特に、「心と身体は(当たり前だけど)分けられない」ということを実感しています。
そして、どういうわけだか、「健康ブーム」と言いながらも、世間一般では、身体より心が上のような、身体は何だか下で粗末に扱っていいかのような風潮があるようなことが気になっています。
かく言う私も、ついこの間までそうだったということが非常に衝撃的でした。自分自身にとって。

件の元カレと遭遇した際、彼が15kg絞っていたことで受けた衝撃は、そこでした。
これから人に「ご自愛ください」と言うつもりだった私が、自分の“心”に対してはともかくとして、自分の身体に対して、“身体の声を聴く”とか言いながらも、非常に蔑ろに、ケアすることを後回しにして来たなあ・・そしてまた、主婦たるもの、それでいいのだ、と、思っていたことを、思い知らされたことが衝撃で、身体の状態がよくなるまで、書くことはならじ・・と思いました。

そこからが、卵が先か鶏が先か、身体と心が切り離せない面白いところなのですが、そこで“意識”(心?)が変わった私は、信頼できるお医者様との出会いもあり、命に別状はないものの、長年気になりつつ、また、一度は清水の舞台から飛び降りるつもりで別の病院を受診して「大したことない」と言われつつ、腑に落ちないでいたところを手術することにしました。(そのことが呼ぶ波紋、“人間を真に大事にしない今の世間の常識”についてはまた項を改めて書きたいと思います。)そして、傷が癒え、短歌を詠み続けることで“継続”について自信がついて来た私は、毎日御陵まで歩き、石段を下りて上って、帰って来る・・身体の隅々の状態を感じながら、マイペースでほぼ40分歩く、ということをやってみました。

すると、2週間も経たないうちに、子どもから「お母さん痩せた?」と、聞かれました。
何と言うのでしょう、痩せることが目的ではなく、身体をケアすることが目的なのと、数値は問題ではないので体重が何キロ減ったのかは判りません。ウエストが何センチ減ったのかも判りません。けれど、ずっと、自分の身長などからしても、自分に適切なのはMサイズ(もしくはSサイズ)だと思って来たのに、おそらくは第4子の妊娠中に切迫流産になり(いずれその理由を明かすでしょう。)、運動を禁じられ、その時買い物用に軽自動車を購入して以来、家族が多くて買うべき食材の量が多かったり忙しかったりで、なし崩し的に買い出しに車を使うようになり歩くことが減ったのが一番の理由だと思うのですが、Lサイズに成長して12年・・ほんとうによく食べた昔と比べ、食べる量が多いわけではないのに痩せることはなく、ずっと「むくんでいた」感じだったのが、一気に流れたという感じでした。
その頃、梅雨に向けて、雨でも歩ける服や、UVカットできる服を買う時に試着してみたら早くもMサイズが入るようになっていて、努力目標という意味でも思い切ってそのサイズを買い、歩き続けたら、今ではそれらが「余裕」になっていることから、「身体に意識を移し、行動する」ことの効果はてきめんだと思いました。

何となくですが、相対的な、世間一般の価値観による、この身長ならこの体重だとか、何キロ減だとか、他人がやっていた何とかダイエット・・を目指したりしたりするのではなく、あくまでも、自分の身体の声を聴いて、自分の身体がなりたいところに落ち着くのを導く・・ような姿勢が重要な気がします。

そうしていれば、行き過ぎることもないし、常に快適で、機嫌よくいられるのだと思います。
外からの例えば「やせてなければならない!」的な圧力によるのではなく、自分で自分の身体をいたわってあげてみてください。

身体が健康でいることが、精神の健康と表裏一体だと思います。

そしてそうそう。かつて身体が不本意な方向に向かっていた時は、どんどん身体の線が目立たない服を選ぶという循環に陥っていましたが、いい方向に向かっていると、身体の線が出る、文字通り、「ボディーコンシャス」な服を選びたくなっていく、そしてそういうものを着ていると、身体に意識が行って、悪い方向に向かうことを防げる、そんな好循環になっていっている気がしています。