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何かの協奏曲

Concerto for Something.

「最後の四つの歌」のほうがいいよなあ、といつも思う。

Vier letzte Liederだから「四つの最後」のほうが正しいけれど、

でも、私は「最後の四つ」がいいと思うのです。


リヒャルト・シュトラウスの最後の作品で、

オーケストラ・リートと言われるジャンルの掉尾を飾る。

残光、寂寥、夕暮れ……そんな言葉が浮かぶ。

浮かぶけれど、文章にはなってくれない。

素敵な曲です、と言っておけばよさそうだ。


リヒャルトの曲は、すべてが好きというわけではない。


たとえば(たぶん)一番有名な「ツァラトゥストラ」。

まあ、最初5分でいいよね、と思う(ごめんなさい)。

「サロメ」も、第4場以降だけでいいや(ほんとごめんなさい)。


ただ、刺さるものはものすごく刺さる。

心に隕石のように、落ちてくる。


「ばらの騎士」

「メタモルフォーゼン」

「オーボエ協奏曲」

「四つの最後の歌」


「メタモルフォーゼン」以外は、だいたい明るい。

勝手なイメージだけれど、きつすぎない光。

朝もやか夕暮れの光のなかで、喜びとか切なさが交錯するような。


卑下するのはやめよう。

毅然と、前を向こう。

だけれど、変に力みかえるのもやめよう。


そういうのを、なんと言えばいいんだろう。

エネルギー、だろうか。岡田章夫はそう言う。

無理をしないプライド、といえばいいのかもしれない。

生が、良いものだけでできているわけではないのに。

いや、良いものだけでできていないことは知っているから、

生は素敵だよ、と呼びかける声がする。


それは、小さなバラでいいじゃないか、という囁きだ。

大輪じゃなくても、薫り高くなくても。

きっと、きみはきれいだ。


そういう音楽。




ばらちゃん




「天童市のふるさと納税、よかったですよ」

そんなメッセージと一緒に、写真が送られてきた。

プラスティック・パックに4つ、サクランボがたくさん入っている。

「いいね、美味しそう」と返事したら、

「いま同僚の口に突っ込んで回ってます」という。


サクランボ、とつぶやいてみた。

もちろん、嫌いではない。

だけれど、とりたてて好きというほどではない。

上京してからの15年で、買ったことあったかな、と考えてみたが、

いくつか記憶に引っかかったから、2、3回は買ったのだろう。

つまり、5年に1回くらい。まあ、そんなものだ。


そういえば実家は、よくアメリカン・チェリーを買っていた。

冷蔵庫を開くとあったりするから、たまに摘まんでいた。

母親か誰かが好きだったんだろう。


「同僚の口に突っ込んで回ってます」


サクランボを突っ込まれた同僚さんは、どういう顔をしたんだろう。

そんなことを想像してみた。

はっと噛んでみると、皮がぷつんと弾ける。

ふわっと香りがして、濃い風味の果汁が舌を覆う。

それでどういう顔を、人はするものなんだろう?


にっこり笑うんだろうか。怒りはしないだろう。

それとも美味しくて、びっくりした顔をするんだろうか。

私なら、きょとんとした顔をしてしまうんじゃないだろうか。


そんなことを考えていたから、帰路に買ってしまった。

寄り道したスーパーで目について、ふらふらと1パック。

SAGAEと書いてあるから、山形の寒河江産だろう。


ぷちん、ぷちん、と食べてみたら、いい香りがした。

いいものだな、と思ったから、買う機会は増えるかもしれない。



{E515291B-D7D2-4E3E-A033-1601A49CCE5C}



前回のエントリでブーレーズについて書いて、

アーノンクールについても書かなきゃいけない気になった。

いや、別に誰にとがめられる話でもないのだけれど、

同じ年に同じような大御所が亡くなったんだし、ね。

(じゃあ去年のアバドは?)


アーノンクールについては、たぶん私はそれほどよい聞き手ではない。

というか、アーノンクールの「よい聞き手」ってどういう人か、よくわからない。

とにかく刺激的、とげとげしい。

ブーレーズの音楽が、整然とした和食だとしたら、

アーノンクールは間違いなくタイ料理か何か。激辛。


だから、どれもこれも好きというわけには全然いかないのだ。

たとえば、ベートーヴェンの交響曲集。うーん。

ブラームスの交響曲集。これもうーん。


周知のことだけれど、アーノンクールは古典期中心の人。

だから、ロマン派の演奏ももちろんあるんだけれど、近現代はまず振らない。

(バルトークの『管弦楽のための協奏曲』とかいくつか録音はあるけど。)

ブーレーズは逆で、近現代しか振らない。

(モーツァルトのピアノ協奏曲をコンサートでやったりはしたけれど。)

分析的なアプローチはとても似ているのに、

そこから刺激物を引き出そうとするのがアーノンクールなのだ。


ところが、「マイルドだと思っていた曲がピリッと!」みたいな驚きがある。

これって、とても新鮮だったりするのだ。


代表例が、ドヴォルザークの後期協奏曲集。

「あー、『新世界より』 ね」などと思っていると、「おおっ!」と言ってしまう。

コンセルトヘボウ管弦楽団で、比較的マイルドな音のはずなのに、だ。


とにかく、踊れそうになる。愉しい。


交響曲第8番 の第4楽章など、うっかりすると「くどいなあ」と思うけれど、

彼の演奏では、ちっともそんなことを感じない。

ノってるうちに終わってくれる。

あ、楽しい音だ!と思うのだ。


もうひとつ好きなのが、ブラームスの弦楽協奏曲集

つまりヴァイオリン協奏曲と、二重協奏曲。

クレーメルのヴァイオリンと、アーノンクールの指揮なんて、

どんな刺激物が出てくるんだとおっかなびっくりだったのに、

おそろしく繊細な音楽が立ち現れていて、これは逆方向に裏切られた。

クレメンス・ハーゲンがチェロを弾く二重協奏曲も、ほんとうに繊細。

じわりと心の底からエネルギーがわいてくる演奏です。