集中、って見えるんだよね
す・・っと集中に入っていく姿はおもしろい。
そして、本人が「できた」という瞬間に立ち会えるのって
こっちも「お」って思う。
一人遊びができる子は、勉強ができるんだよね。
だれかに励まされないと、遊べないのは
それ、こどもの資質じゃなくて
親が、こどもの「世界」をじゃましてばかりいる、という日常で
そうなっちゃったんだと思う。
そこにいて、見ているだけでいい
そもそも、
見ているだけって、ものすごく楽しいのだからね。
べビ男のリアルタイムの遊びを見ていると
おもしろい。
まず、耳がいい。
よく、聞いているね
このまえポロシャツを着ていたんだけど、
一人前(笑)にみえて、わたしが
「わ~その洋服べビ男、似合うね。少年みたい!!」って歓声をあげたのよ。
その時
べビ男は、「しょうねん・・・・ショウネン・・みたい・・しょうねん・」
と何か言っていた。
手を停めて、「しょうねんみたい・・?」というふうに繰り返していたのよ。
ちょっとこの光景は感動的。
しょうねん、ということばを、初耳だったのか
はたまた、音声として聞いたことがあったけれど、それが自分の体験と結びついた瞬間だったのか
ことばとの出会いだったのか
そして、
「~みたい」という、表現に気づいたのかもしれないな
これは、とても重要で
比喩につながるよね。
~みたい、って
名詞とあわせて、もうひとつ知っている名詞と組み合わせて使う。
あのとき、
わたしは
「べビ男は、少年みたいに見えるね」という意味で
「しょうねんみたい」と、省略しちゃっていたんだけど
このことを、考えていたのかもしれない、と
感じた瞬間だ。
以前、私が
「べビ男、かわいいねえ」って言ったら
「ちがうの。かわいいんじゃないの、かっこいいの」
という
、まさかの
打消しをつかっていたんだよね
2歳なりたてで。過去にブログに書いたけど探せなかった。pp
打消しも使って、
この前は比喩を知った。
こんなふうに、人間のこういう
本質に出会う瞬間に、立ち会える喜びは感動的。
まあ、こんな話を、夫や息子たちとしていて
人間の言語習得ってこうなのねえ、
なんて
話して、盛り上がったわけ。
そして、昨日、新しい本を買っちゃったという。
貢ぐわ。