よく、
他人の気持ちを「くみとって」
こうじゃないかな、とか
たぶん、こう考えているんじゃないか
とか
当の本人には聞かずに、周りが判断することが
美しい、とされることが多いね
それほんと?
その「くみとったきもち」は
どこまでいっても、汲み取った人の気持ち以上でも以下でもないし
肝心の本人の気持ちとは、やっぱり違うでしょう。
察してちゃん、ということばがあるよね
それもおなじこと。
何を察してほしいのか。
イヤイヤ、察してほしいのに相手が気づかないなら
まず、あなたが「どうして相手が気づかないのか?」を考えたことあるのか?
いつも、なんなの?
って思うのが母。
一見、言いたいことを言っているように見えるけれど
肝心なことは、「察してほしい」タイプ。
だから、
わたしは「どうしたいのか?」と本人から聞いている。
本人の口からね。
しばしば、
「●●さんが、そういっていた」という誰かの名前を出して
自分の意見としてではなく、●●さんが、こう言っていたよ
という
まわりくどい返事をするんだよね。
いや、
誰かの意見を聞きたいんじゃなくて
ママが、どうしたいのか?ということを聞いているんだけど?
言いたくないのか、
言えないのか
どっち?
って聞く。
自分のことを誰かの名前の力に頼らなとこたえられないのか。
と
いまさらながら驚くし
そう、こういうところが、母らしい部分でもあり、わたしが嫌いな部分でもあるな、と
思い出したわ。
そもそも
母の気持ちは、私にはやっぱりわからないよね
違う人なんだから。当たり前。
自分の口で、言うべき人に、自分で伝えるって
意外と、難しいのかもしれない。
私は言うけどね。