この記事にも書いたけど、
「やって」の意味と、
何をどこまでやるのか?を決めるのは
生活のクオリティに大きな影響を与える。
日常的には、
洗濯物を全て仕上げないで、
①洗濯機から出して、
②干しやすい様に軽く畳んで
③階段の上り口にカゴを、置いておく
つまり、洗濯物を干すのを忘れた
とか
洗濯機からからまって出すのに苦戦する、
とかは
母のやり方には影響は少ない。
干し方には、誰でもルールがあるからね。
こうすると、動きに負担は少なく
でも、自分でやった、
と満足できる。
仕上げの部分は、本人がやるのは大事。
今度は趣味の着物も
ある程度、母が自分で気づいたり
思いつくまで、待つ。
環境を整えるのが私の役割かな。
着物を必要なものだけを、無理なく広げられるように
1つだけ、見本として私がやっておく。
わざと、途中まで。
子育てと同じことだ。
ただ、違うのは
子どもは、親が手放す部分が増えていく
高齢者は、手伝う部分が増えていく。
「やって」の意味は全てを手早く仕上げることじゃないのだ。