ちょっと長いですかね?
でも、この23日の連携プレー・・が重要だったし
その翌日の24日の話し合いがうまくいったのも
土台となる、
人間関係(いとこ会)が築けていたからだと思います。
まあ、細かい点は目をつぶって。
で・・この続きね
そもそも、23日にアパートから、ごっそり荷物を
強引に車に積み込んだ母に、
仕方ないな、という気持ちもありましたが
怒りの感情がわきました。
この時点で、病院で亡くなった弟(叔父)がコロナはどうなのか?
という点が解決していなかったからです。
*25日に、はっきり陰性であったと病院から証明されました。
なるべく、わたしは触らないように、
手持ちのマイアルコールで消毒しながら、電話で調べていたのです。
その大きな理由のひとつが
27日(告別式の翌日)に、カサブランカちゃんの検診(ママとベビー)に付き添うことになっていたからです。
この車に乗せて、いくのです。
もはや、タクシーでいってもらうようにしないといけないか?
それがあったので、荷物を車に積み込むなんて、勝手すぎるな、って思ったのです。
また
コロナでも、妹の子どもたち(中高生)も参列すべきだ、当然だ、、食事を豪華にしたいとか叔母と熱心に話しているのですから。
(亡くなった弟への強い愛情のためです)
いやいや、もう・・その場にいたいとこに「みほちゃん・・お察しします・・」
といやいや・・・あなたのママもでしょ。もうねえ・・・・という状態。
帰りの車の中で
運転しながら、伝えよう、言わないとこじれるな、と。
途中妹から、矢のような連絡や、アレこれ。。。
返信どころじゃないよね。
80分くらい乗っていたので、母と相当話したと思います。
実家に到着した瞬間
妹たちに、状況を連絡しラインで・・
妹がすっ飛んでいて来てくれました。光の速さで。
そして、本気の話し合いになりました。
この時、
母+私+妹
です。
そして24日に、妹が母、叔母、その夫と、墓じまいの話をすることになりました。
*わたしは、いったん帰宅することに。
その前に、さっきのいとこから、墓じまいについて、叔母とその夫に話をしてほしいと私から伝えました。
話というのは、
いきなり、24日に、「墓じまいのことなんだけど」と切り出すのではなく
心の準備として、耳に入れておく、という意味合いです。
この準備があると、一晩、という時間が
心の構えができると考えたからです。
長すぎてもいけないし、短すぎてもいけない。
そうして、24日の重要な話し合いに
今度は妹が任されました。
ここで、いろいろまた下準備をしています。
つづきます。