たとえば、こどもに対して
「本人に自由に選ばせています」
といいます。
本来自由に選べる、とは
①選択肢がある
②それらをすべて比べる体験(経験)ができる
③経済的(月謝や学費、教材など)に可能である
④自分自身で決められる
これらの条件を満たすときに
自由に選べる、選んだと言えます。
まず選択肢があるのか?
子どもの場合、「知っているのか?」という点。
たとえばスポーツの場合、知らないスポーツは、選びようがありません。
頭にないモノは選べません。
そして、体験してみるこれも、やってみないことには
正しく選べません。
つまり、
自由に選ぶ、って
本人の自主性に任せているようにみえますが
ちょっと、らんっぼうな言い方すると、放棄している状態です。
子どもの場合ね。
自分の(本人の)守備範囲からしか選択肢がないということです。
そして、
わたしが、いつも気になるのは
その子って、自分で決定できる子なのかな?という点です。
親なら、その子が自分で決められる子なのか
そうじゃないか、わかすはずです。
それをわかっていて、自主性に任せてます、なんて
教育、という面から見ても違うんじゃないかと思うのです。
もっというと、
自分で決めるためには(子供の場合ね)
①②は必須。
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たとえば、習い事。
自主性に任せて、練習しない、練習する、
これ、両方を体験して、そのあと、どうなるか?も体験していないなら
自主性にまかせています、と親が声高らかにいうのは違うンジャないかと思うわけです。
コツコツ練習してできるようになっていく体験。
サボって、困った体験・
本人は両方体験していないから、ちっともいう事を聞かない。
まあ実際は、こんなの屁理屈です。
四の五の言わずにやれ、って話です。
昨日記事にしたけれど
どんなときも、家庭が土台。
蛇足ですが、③これについては、別の機会に説明ます。
私立の医学部受験に際して、近い人間の素晴らしい(こども)の事例を紹介したいと思います。