それが学者の仕事である、と
上野千鶴子さんがご著書の中で語っていた。
なんとなく心のに残っている言葉だ。
この本の、P183
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この自分の能力の偏った一部分を使う、って
たとえば、ブログを書く、という1つをとっても同じだと思う。
人と同じ考え、横並び、みんなそう、という同じ様な意見に
無理やりすることないんじゃないか。
いままでブログ講座もやっていたし今もやっているけれど
書くことへ恐怖を、多くの人が持っている。
偏った部分をだしていけない、
バランスの悪い(大多数)意見は危険だ、という心理なのか。
人とおなじ「わたしも、こう思っています」とか「●●さんが、おっしゃるように、わたしも同じ意見」というように
だれかを前面にだして、
隠れるようにして発信する
それは、仕事にならない。
ってことだよね。
もし、ブログ仕事につなげたいと思っているなら
自分の「偏った」一部分を、語る方が
より、あなたらしいんじゃないか。
よく、自分らしいってどういうこと?と探す人がるよね
まさに、
「自分の能力の偏った一部分」をとりだすこと
隠さずに、表現していけばいいってこと。
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