楽器の習得にかぎらない。
勉強も、テニスもそう。
日常の、あらゆることもそうでしょう。
習い始めた、お茶のお稽古を例に出してみると
まったく、もって私は呑み込みが悪いのです。
さすがに、「できる」とは思えませんが
「よし、わかったぞ」というのはあります。
でもやってみたら、できない。
おかしい。
頭で理解したはずの所作が、できない。
練習不足。
それ以前の、理解があいまい、というモノもあります。
量が必要だな、と痛感しています。
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本題です。
バイオリンを勉強していたとき
「わかった」
「できる」
「おぼえた」
よく息子達は言いました。
たとえば、料理本を眺めて
「ああ、これはおいしそう。できるわ」
でも実際作ろうとすると・・・・・・という事も
似ていると思います。
まいにち、ほんの少しずつです。
その「わかった」部分を体が覚えたのか、
それを私が確認します。
「できる」
「おぼえた」
よく息子達は言いました。
しかし実際に弾けるのか、というとできないものです。
では、ウソや出まかせを言ったのか?というと
違います。
わかった、のです。
うん、できる、もう大丈夫、って思うのでしょう。
おぼえた、ということもそうです。
でも、再現できない。
あれ?へんだな?
ぎゃーっと幼い時は泣くわけです。
身体がおぼえていないのです。
よく息子たちは
「なんでできないのおおお」って言いました。
自分でも不思議だったのでしょう。
できる、って思っているのに。
ですから、できる、と思った状態を
自分で自由自在に再現できる、表現できるようになるには
こんなふうに繰り返して練習すると
身体がおぼえて、いく。
満足(本人が)できる、という体験をたいせつにします。
ほんの一例です。
たとえば、料理本を眺めて
「ああ、これはおいしそう。できるわ」
でも実際作ろうとすると・・・・・・という事も
似ていると思います。
まいにち、ほんの少しずつです。
その「わかった」部分を体が覚えたのか、
それを私が確認します。