つづきです。
マイクの前で、しばし沈黙しました。
こういう沈黙も、初めてのことです。
このとき、自分への期待と信頼・・?というとおかしいですが
「私のそのままのことばを、私が聞きたい」
そういう気持ちだったと思います。
失言も得意なので、うわ~どうなちゃうのかな?わたし。
とおもいつつ。
~~~~~~
お忙しい中、ご参列くださいましてありがとうございます。
親族を代表して、ご挨拶いたします。
コンチエルトみほです。
わたしは今回父が亡くなったことで
考えが大きく変化したことがあります。
そのことは、私への最後の父からの贈り物と思って受け止めました。
~~~
父が旅立ちの装いをした胸には
晩年父が熱心に取り組んでいた様々な活動の名札やカードを
束ねた「ストラップ」がさがっていました。
見覚えがありました。
私が作ったものでした。
日ごろ使っていたのか、偶然今回選んだのか、知りません。
けれど、今、確かに父の旅立ちの装いにかけられています。
胸が詰まりました。
しらべてみたら、10年以上前にプレゼントしたものでした。
~~~~
こどもであることも一生・・なのか。
まさか・・・。
私は・・・知りませんでした。
結婚し、新しい家族を作ってそれを一生懸命守ってきました。
子どもの役割は卒業して、次は親の役割だ。
それが完成。ゴール。という風に考えていたのです。
それが自立する、ということだと信じてきたのです。
そうではないのか。
こどもであることを、忘れてしまった私は
自立したとは言えないのです。
親となって「子供が成人しても親であることは一生」と
わかっているのに
それなのに、「こどもであることも一生なのだ」ということを
知らなかったのです。
驚きました。
10年以上、こどもであることを忘れた私。
空白の10年・・・
●●ちゃん、ありがとう
▲▲ちゃん、ありがとう
そして、
●●さん(妹Aご家族)ありがとうございます。
▲▲さん(妹Bご家族)ありがとうございます。
*妹たちは、並んでいます。
妹たちにしっかりつたえられたかな。。
(マイク、位牌を持つ母、写真を持つ妹A、花を持つ妹B)
そして、昨日の通夜、私と息子たちに斎場に泊まって世話をすることを許してくれてありがとうございました。
通夜では・・・・後編につづく→