生活から離れたことばを、身に付ける | CONCERTO大人の自習室®️~シンデレラの時間割®~ 

CONCERTO大人の自習室®️~シンデレラの時間割®~ 

おうち時間研究家のコンチェルトみほです。
ブログ1本で会社にしました。
シンデレラの時間割®で家事を通して時間管理術が身につく方法を伝えています。

自分の身の回りの、ことばを自由に使える。

 

生活から離れたことばについて

以前ブログで、素読 ということに触れました。

 

素読とは、そどく  そよみ  とも言われます。

これは、先生や親が読むのを聞いて、そのあとについて読む。

 

意味はわからないままです。

聞いて、つづく。聞いて、つづく。

 

この時に、「意味」「意味」と騒いで、それをいちいち説明したがるおとながいますが

よけいなことです。

 

素読の場合、意味など分からなくていいのです。

 

ちょっと乱暴ですが、意味の分からない言葉をこどもがわからないまま使ってみる、ということです。

 

意味のわかることばだけでは、意味の分からない言葉を

習得することなどできません。

 

昔話も、そうです。

むかしのことばだったり、方言であったり、繰り返し

聞かせることが多いでしょう。

荒唐無稽な話は、日常ではないことであり、そうした中で

 

 

これは散文。

ことばに、調子ほとんどないでしょう。

そして、荒唐無稽ではありますが、意味がわかりやすのです。

 

もっと、いみのわからないことば

そぎ落とされたことばや、

音楽と同じように、リズムのあることばのほうが

重要です。

 

それで、漢文なのです。

ただ、漢文でなくても日本にはリズムのある言葉があります。

 

韻文。

和歌・俳句・川柳・

ことわざなどです。

 

耳のチカラをつけるには、口移しのような素読がいいのです。

 

わたしもいまだに、いろは歌や

奥の細道、徒然草、百人一首をおぼえています。

 

リズムがよいからです。

そしてそれらのことばは、日常とは離れたものであるからこそ

いつもつかうことばが

深く、彩のあるものとなっているんじゃないかと

考えています。

 

カーテン買い換えようかな。

image