昨日から、バイオリン記事を重ねていました。
男の子である点を差し引いても
なかなか手がかかりました。
遠くにみえる光にむかっていっぽずつ歩いているような
気持ちでした。
昨日より今日。
今日より明日。
投げ出すことやあきらめること。
これは、子どもが幼い時は
本人じゃないのです。
親なのです。
親が投げ出すこと
親があきらめること
これは、私はどうしてもできないことでした。
こどもが5分楽器を持っていられないのは
当たり前のことだな。
この世に生まれてきてからたったの3年。
当たり前だなと。
子どもに決めさせる、といいますけれどね。
長期的な視点にたってみると
弾けたら嬉しいよね。
習ったけれど、やめちゃった。なにも弾けない、では
しのびないな、と
それならば
人生100年のうちの、たった数年、なかなか進まない時期に思えても
100年のうちの3年・・と考えたらそれは
悩むレベルじゃないな、と
気付くのでした。
100年のうちのたった3年で、あきらめるなんて
「音楽」としてどうだろう?
音楽ってそういうものじゃないよな。
ならば
わたしは、息子たちにバイオリン通して
習慣、学ぶ姿勢、
そして、わたしのもっている音楽の知識の全てを
時間をかけて贈ろう。
そう考えたのです。
ですから、どんなに曲がすすまなくても
お稽古の日に、なかなか車に乗らないとごねても
「あなたが弾きたい」と言った心の願いを叶えよう。
そして、しっかり弾けるように親ができることを
しよう
そう思ったのです。
まあ、暴れん坊でしたね。
ほとばしるエネルギーはまぶしすぎて
切ないほどでした。