たとえば、
板書(古い?)を写すのに必死・・という状態では
気付き、という次のステップにはたどり着かないでしょう。
正しい記録は、それは尊いものです。
記録を見て、
自分が何を気づいたのか
こちらのほうが重要だと思うのです。
このステップは、
いったん、とりこんで、
自分の頭で考える、という工程だからです。
もう一つは、先生の雑談。
書いてないこと、予定ではないことを
これは貴重な情報。
先生に習っているのですから
先生の全てを吸収しよう、とか
昔でいう、先生から盗む、という表現ですよね。
そういう姿勢で、息子たちがお稽古している最中は、もう
わたしも集中しました。
メインは、息子が先生の指示を理解できているか?
という点。
「息子の、バイオエリンの把握の仕方を私が理解する」
これが最も重要でした。