何が読めれば「読めた」といえるのか | CONCERTO大人の自習室®️~シンデレラの時間割®~ 

CONCERTO大人の自習室®️~シンデレラの時間割®~ 

おうち時間研究家のコンチェルトみほです。
ブログ1本で会社にしました。
シンデレラの時間割®で家事を通して時間管理術が身につく方法を伝えています。

せっかくなので、教育記事を重ねてみます。

今日も、読書会でした。

 

主催者によって、集まる人がかわりますね。

「場」の雰囲気も違います。

開催する場所によって、違います。

今月は、あと数回読書会には参加しますので、楽しみです。

 

さて、

教育記事、わたしにとってブログはインプットでありアウトプットでもあります。

 

何が読めれば、「読めた」といえるか?

についてです。

 

まず、「核」本質をつかむ。

ただし、これは「本」ならば作者の意図。

作者(著者)がこの本で一番伝えたいことは何か?

が「核」です。

 

ものごとも、そうです。

核がわかると、要点も主題、つまり中心的内容が把握できるのです。

ですから、まず「核」を探らないといけないのです。

根っこ、という表現もおよそいいでしょう。

 

本ならば、文章をてがかりにできます。

書き手は、手を変え品を変え、自分の伝えたいことを表現していますから

繰り返される比喩もヒントなのです。

 

わたしが、手を変え品を変え言い換えたりしながら

同じことを伝えているブログやシンデレラ課題は、重要なコトであったりします。

このあたりを、つかめていたら

「読んだ」とか「読めている」といって差し支えないでしょう。

 

「読む」は、私の場合「見る」のさきにあります。